​アナーキスト、ワグナーの白昼夢

画像: ワグナーの倒錯的女装趣味

2025.09.05

ライフ・ソーシャル

​アナーキスト、ワグナーの白昼夢

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/ワグナーは、ただの音楽家ではなかった。ユダヤ人連中が金と新聞を使って音楽や小説の人気を巧みに操っている、と思い込んで、アナーキズムに走り、暴動を起し、逃亡した。そして、その反ユダヤ主義から、ドイツのキリスト教はアーリア仏教から発展した、と信じていた。/

1824年に交響曲第九を作曲したベートーヴェン(1770-1827)が重厚な弦楽四重奏曲に注力して人気を失うと、代わってロッシーニ(1792-1868)が『セビリアの理髪師』(1816)や『ウィリアム・テル』(1829)といった軽妙なオペラで名声を博し、裕福な銀行家の息子であったマイアベーア(1791-1864)も壮大なグランドオペラでベートーヴェンに続きました。キルケゴールと同世代のワーグナー(26、1813-1883)は、借金を抱えながら1839年にパリにやって来ました。

「なんで音楽家の話?」

ワーグナーはただの音楽家ではありませんでした。マイアベーアに支援され、小さな仕事を与えられていた彼は、「株屋の王」ルイ・フィリップ(1773-th1830-ab48-50)とそのユダヤ人仲間がフランスを支配し、金と新聞を使って音楽や小説の人気を巧みに操っていることを知りました。彼は、ハイネ(1797-1756)、プルードン(1809-65)、フォイエルバッハ(1804-72)と知り合い、彼らの影響を受けました。

「ハイネはその後、マルクスも支えましたね」

ザクセン王国は1841年、ドレスデンに新しいオペラハウスを建設し、ワーグナーを指揮者に招きました。しかし、あいかわらずマイアベーアの支援を受け、宮廷の庇護を受けていたにもかかわらず、彼はひそかにアナーキストや反ユダヤ主義の支持者をドレスデンに広めていきました。 1848年、ドイツ各地で三月革命が勃発すると、フランクフルト国民議会は、憲法制定によってプロシア王の下にドイツを統一しようとしました。ワーグナー(35)は暴力的な革命家バクーニン(34、1814-76)を招き、アナーキストたちも蜂起してザクセン王に憲法の承認を迫りました。しかし、プロシア王がこの計画を拒否し、フランクフルト国民議会は崩壊しました。ワーグナーは逃亡し、バクーニンは逮捕されてロシアに送られました。

「権力を転覆させようとする若者は、いつでもいるでしょ」

ワーグナーはスイス亡命中に芸術への理解を深めました。彼によれば、芸術は伝統的な生活様式と国民精神に根ざし、文学と音楽、演劇と舞踏が融合したものでなければならない。しかし、現代の芸術は大衆迎合的な商業主義によって堕落している。それは、ユダヤ人という国籍を問わない部外者によって支配されているからだ。彼は1850年にこんな挑発的な思想を匿名で発表しましたが、発行部数は少なく、大きな注目を集めることもありませんでした。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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