/単独者として、私たちは戦争のように、自分で選んだわけでもない歴史的、個人的、そして矛盾した極限状況に陥ることがあります。その時、同席者とのコミュニケーションを通じ、私たちはむしろ、必然性の極限を超えて、超越体と同じ自由を再発見できます。実際、ヤスパースは、ユダヤ人の妻を守るため、ともに死まで覚悟して自宅で籠城したそのとき、米軍がハイデルベルクの街を解放しました。それが実存、自由の出現です。/
27.05. 暴走する数学
古代アレクサンドリアの数学者ユークリッド(c300 BC)は、二点間の直線、直線の無限延長、円、直角、そして、交わることのない平行線、という五つの公理を用いて幾何学を体系的に確立しました。彼の幾何学は近代まで自然科学の基礎となってきましたが、大航海時代の地球測量によって、五番目の平行線公理の絶対性が疑問視されました。
「東経0度と90度の経線は平行なのに、北極で交差する。その正三角形の内角の和は、270度だ」
イタリアの医師カルダーノ(1501-1576)は、公式で三次方程式を解いた結果、虚数を導入しました。驚くべきことに、それでもなお、代数学は矛盾なく成立しました。デカルト(1596-1650)が代数幾何学を発明し、ガウス(1777-1855)はそれを虚数垂直軸を持つ複素平面へと洗練しました。リーマン(1826-1866)は、1/0を無限大と仮定して球面を複素平面に投影しました。これにより、平行線公理を持たない多様な非ユークリッド幾何学も代数的に計算可能になりました。さらに、デデキント(1831-1916)は数全体を集合として扱い、それを分割することで実数や虚数を定義しました。カントール(1845-1918)もまた数の集合を研究し、無限大には多様な密度があることを発見しました。
「球面が何かはわかるけど、計算で出てくるものは何を意味するの?」
その疑問はもっともです。これまで論理的計算は矛盾なく一貫した結果を出すものの、その意味となると、だれにもわかりませんでした。しかし、フレーゲ(1848-1925)が述語論理学を発明しました。これは集合論を用いて、関係する対象を定義せず、命題を議論することを可能にする論理学です。それは対象を直接に問う単純な論理学ではなく、対象をを含む集合を議論する第二階の論理です。たとえば「犬」は主語ではなく、「犬」という述語によって定義される集合です。対象については、量化子で、すべて、あるいは、少なくとも一つは、と言及するのみです。ここで、すべての命題は、主語的な述語集合が述語的な述語集合に含まれるかどうかという事実、つまり、対象について問うことなく、二つの集合間の包含関係に還元されます。
「なぜ彼は量化子に『おおよそ』『およそ』『やや』といった中間的な表現を含めなかったのだろう?」
いずれにせよ、フレーゲの述語論理学は、述語の対象を示さずに、その真偽を議論することを可能にしました。ヒルベルト(1862-1943)は、幾何学でさえ、具体的な対象を含まない恣意的で空虚な公理に基づく純粋に論理的な体系であるとみなしました。こうして、数学の主眼は、解の存在と体系の整合性を証明することへと移行しました。
「それは、まるで神学のようだ」
哲学
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。
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