いかに西部は失われたか:ONCE UPON THE TIME IN THE WEST (『ウェスタン』1968)の時代

2023.07.02

ライフ・ソーシャル

いかに西部は失われたか:ONCE UPON THE TIME IN THE WEST (『ウェスタン』1968)の時代

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/西部開拓というと、西部劇で見るように、「インディアン」の襲撃を受けながらも、人々が西へ西へと押しかけ、太平洋にまで至って終わった、かのように思うかもしれない。だが、西部劇に出てくる無法の「西部」は、アリゾナ・ニューメキシコ準州での、1880年前後のほんの数年の出来事だった。/

また、ゴールドラッシュも終わって、奴隷の存在は、人権問題以上に、過剰人口の雇用問題でもあった。つまり、奴隷などという、いくらでも激安で輸入できる労働力があったのでは、ミシシッピー流域の農業や牧場で失敗した連中、カリフォルニアのゴールドラッシュにあぶれてしまった連中が、新たにできた都市や工場などで仕事に就けないのだ。かくして、南北戦争(1861~65)が始まった。

この南北戦争の軍需をテコに、資本主義がさらに飛躍的に発展し、東海岸の海運王ヴァンダービルト(1794~1877)、コロラドの鉱山王グッケンハイム(1828~1905)、ペンシルヴァニアの鉄鋼王カーネギー(1835~1919)、ニューヨークの金融王モルガン(1837~1913)、オハイオの石油王ロックフェラー(1839~1937)と、「金ぴか時代 Gilded Age」のタイクーンたちが登場。彼らはこぞって内陸部を開発する鉄道事業に進出していった。

また、南北戦争中の1863年、インディアンのピナ村の東、「迷信山地」の西麓に砂金探しの連中が拠点を築き、対インディアン武装私兵団のジャック・スウィリングがスコッツデール砦に上流から用水を引き込んで、現フェニックス市の礎を築く。そして、南北戦争が終わると、安価な奴隷労働力を失った南部は不況に陥り、いくつものプランテーションが潰れ、退役軍人、元農場経営者、解放(失業)黒人が、厄介な怨嗟を引きずったまま、未開の「西部」、ニューメキシコやアリゾナにやってきた。しかし、ここは、もとより強制移住させられてきたインディアンたちはもちろん、山賊に落ちぶれたメキシコ軍敗残兵も多かった。

おりしも、インドや中国、東南アジア、オセアニアでは、帝国主義の侵略戦争やその後の植民地経営の混乱で、大量の移民が米国に流入。中国からだけでも10万人以上、総勢数十万人がカリフォルニアに渡って来て、「苦力(クーリー)」として鉄道建設に従事した。そして、1869年には、西海岸サンフランシス側から延伸した「セントラル・パシフィック鉄道」と、シカゴ市からミシシッピー流域オマハを抜けて延伸した「ユニオン・パシフィック鉄道」とがモルモン教のソルトレイクシティ近くで繋がり、駅馬車の内陸北部「オレゴン・トレイル」に置き換わった。

また、鉄道は、敗北したテキサスに商機を与えた。ほとんど野生放牧のロングホーン牛でも活況の北部では法外な高値で売れることがわかったからだ。牧場主たちは、夏に十数人のカウボーイグループを雇い、「チザム・トレイル」を北上して、数千頭の牛を二ヶ月もかけて鉄道駅ニュートンまで届けさせた。しかし、牛たちが暴走して見失ったり、また、限られた水場で他の牧場の群れ混ざったり、さらには、悪意で大量の牛たちを盗む連中がいたりで、他のグループといさかいも多く、しだいに武装を高めていく。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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