いかに西部は失われたか:ONCE UPON THE TIME IN THE WEST (『ウェスタン』1968)の時代

2023.07.02

ライフ・ソーシャル

いかに西部は失われたか:ONCE UPON THE TIME IN THE WEST (『ウェスタン』1968)の時代

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/西部開拓というと、西部劇で見るように、「インディアン」の襲撃を受けながらも、人々が西へ西へと押しかけ、太平洋にまで至って終わった、かのように思うかもしれない。だが、西部劇に出てくる無法の「西部」は、アリゾナ・ニューメキシコ準州での、1880年前後のほんの数年の出来事だった。/

これに遅れ、長大な「オレゴン・トレイル」や「モルモン・トレイル」を越え、もしくは「スパニッシュ・トレイル」を逆走して、人々が殺到。ただし、これらの道は冬は雪で閉ざされる。このため、サンタフェからリオグランデ川沿いに南下し、ロッキー山脈をピラミッド山の北で越え、ツーソン砦から山麓のインディアンのピナ村(現フェニックス市西)を回り、ヒラ(ソルト)川に沿ってアリゾナ砂漠を横断してカリフォルニアのユマ砦をめざす「南移民トレイル」も試みられるようになった。けれども、これもまた、酷暑と水不足、インディアンの襲撃で、通行は容易ではなかった。くわえて、そもそもゴールドラッシュ・ブームは十年と続かず、もっぱら儲かったのは、砂金探しの連中よりも、彼らに移動手段や生活物資を提供した人々の方だったという。


金ぴか時代と内陸開発

いまだに一攫千金の夢を捨てられない者たちは、「南移民トレイル」を逆に辿って、カリフォルニアのユマ砦から東のアリゾナに入った。彼らは、ロッキー山脈に連なる「迷信(スーパースティション)山地」からも金が出るに違いないと信じていた。しかし、ここは、中西部を追いやられたインディアンたちの最後の領域だった。おまけに、山から流れ出た川さえも跡形無く消え去ってしまうアリゾナ(ソノラン&チフアフアン)砂漠だ。水を確保できるところは、限られている。

ロッキー山脈から流れ出るソルト川(ヒラ川)は干上がっていたが、その湾曲地点、ヒラベント(現ヒラベントの北8キロのところ)では、かろうじて井戸から水が出た。だが、オートマン一家は、1851年、ここで飢餓に陥ったうえに、アパッチ族の襲撃を受けて惨殺され、かろうじて生き残った二人の少女も、顔に刺青を入れられ、56年に買い戻されるまで奴隷として働かされ続けた。また、1858年、ヒラベントに馬車駅ができたが、やはりすぐ焼き討ちあって破壊された。

しかし、すでにカリフォルニアは、海外からの移民も急増して、パンク寸前だった。このことは、米国の合衆国としてのバランスを大きく崩した。大量の黒人奴隷による綿やタバコなどの大規模な農業プランテーションを営む南部に対して、カリフォルニアを加えた北部は、産業革命による工業の進展もあって、爆発的に人口と経済が拡大し、合衆国の中での発言力を増していた。南部が閉鎖保護貿易を主張するのに対して、日本に黒船を送るなど、北部は輸出自由貿易を要求した。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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