成城学園初等学校(小学校)の憂鬱:脆弱な父兄会と上層部の専横

画像: 成城学園初等学校新校舎ページから

2023.04.12

ライフ・ソーシャル

成城学園初等学校(小学校)の憂鬱:脆弱な父兄会と上層部の専横

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/成城学園は、もとより父兄が設立し、その広く厚い支援によって独自の校風を保ってきた。しかし、問題は、この温室のような学校が底抜けの性善説で成り立っていること。それは、長年の伝統で培われてきたものだが、ここに毒が入ると、対応の仕方がわからず、すぐに振り回されてしまう。/

これも、ウワサには聞いていたが、ようやく表沙汰になった。同窓会の地獄耳をなめてはいけない。昨年来、初等学校(小学校)の三年のあるクラスが以前から荒れており、その問題の中心の学童の対応に当たった担任の先生が、その学童の親の激烈なクレームを喰らい、渡辺共成校長、油井雄二理事長は担任の先生の方を左遷。この異常事態に3月22日に保護者会を開いたが、説明に当たった油井理事長のあまりに横柄な態度と応対がいよいよ保護者の火に油を注ぎ、四月になって、むしろ火の手が同窓生にまで広がっている。

もともと成城学園というのは、かなり風変わりなガバナンスで成り立っている。1923年秋の関東大震災で、都内は壊滅。陸軍軍人養成を旨とする新宿の成城学校の下にありながら大正自由教育を試みていた小中学校が、父兄の支援で独立し、世田谷に移転。わざわざ子どもの通学のために、余裕のある進歩的な「中産階級」(いまで言えば新興自営業者、大企業重役、文化教養人)も周辺に越してきて、「成城」という独特の高級住宅地ができた。ここでは、象徴的な意味を含めて、家と家の間に生垣より高い壁は作らない、ということが不文律だった。

私の祖父母両家も、そうした家庭の一つで、親戚一同が成城・玉川。先生方も、成城の町に住んでいる場合が多く、母が習った先生の家に私が遊びに行くなどということもしばしばだった。世間では、成城学園はおうおうに昨今の経営者や芸能人の子女で話題になるが、同級生の中では、親の代、祖父母の代から、成城・玉川という家庭が少なくない。年一回の成城パーティのほか、赤坂には常設の成城クラブもあり、各地の同窓会も盛んで、そうでなくても、長年に渡って交友関係が広く続いている。

成城学園の魅力は、まあ、もとより学力ではない。子どもの時から相応の家庭環境で、人間的に温厚で鷹揚な育ち方をしてきて、人付き合いに如才ないこと。学校というと、勉強、勉強、というところが多いなか、こういう人間性、情操性を身につけられるのは、創設以来の伝統が、学校にも、学童の家庭にも息づいているから。私のような変わり者にも、学園は数多くのすばらしい友人たちを与えてくれた。長い人生の中では、これこそが地位や財産などより大切な宝もの。じつは、問題の初等学校校長の渡辺共成くんも、同学年で、外部受験組の長年の親友だ。

しかし、バブル当たりから、成城の町も大きく様変わりした。もともといくつもの映画スタジオが近くにあったことから、芸能人も少なくなかったが、以前は彼らもまた成城ルールに従っていて、裏庭への出入りも御近所付き合いとして歓迎された。ところが、あちこちが相続で売り出され、傍若無人な成金が、窓も無い要塞のような豪邸を建て、また、高級マンションになって、だれが住んでいるのかもわからなくなった。これとともに、成城学園も「名門」などと世間で言われるようになり、成城学園の温厚な気風も知らず、おかしな人たちが入ってきて、こまったことをしでかすようになった。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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