河内音頭の原点回帰:盆踊りの慈悲

画像: 常光寺の地蔵盆

2023.06.22

ライフ・ソーシャル

河内音頭の原点回帰:盆踊りの慈悲

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/この数年、コロナ騒ぎで中止されていた盆踊りも、今年はようやく各地で再開されるらしい。だが、みんなで踊れない音頭は、音頭ではない。亡くなった人々、いまともにある人々、夏の夜、音頭に身を委ねて、人の慈悲を思い出すのでなければ、盆踊りではない。/

河内音頭と言っても、大阪以外の人にはまったくわからないかもしれない。だが、「われ、なにぬかしとんねん、しばいたろか!」というような、映画やマンガのヤクザやヤンキーが使う河内弁なら、どこかで聞いたことがあるだろう。とはいえ、その河内がどこか、ということになると、また、わからなくなる。

それも仕方あるまい。そもそも、いまの地図に河内などというところは無いのだ。大阪の地理が変わりすぎた。いまは大和川で大阪と堺が南北に分けられているが、あれは江戸時代、1704年に人工的に作られた大排水路。本来の大和川は、八尾市から北に向かっていて、大阪城の東で淀川に合流していた。だから、「河内」というのは、旧大和川の東、北は京都に接する枚方(ひらかた)市から、東大阪市を抜けて、南は石川を遡った河内長野市まで、生駒~金剛山系の麓のやたら細長い地域。こうして、大阪は、大阪市内の「摂津」、堺の「泉州」、そして、この河内と、まったく気質の異なる生活文化圏に三分される。

そして、これらの中でも、河内はやたら盆踊りが熱い。盆踊りと言えば、関東では「東京音頭」(1932)や「炭坑節」(1948)のレコードをかけるのが定番だが、ここでは櫓(やぐら)に音頭取りがのぼって御当地アドリブをまじえて歌い語るライブに決まっている。それも、太鼓だけでなく、ドラムセットやエレキギターなども入れて、独特の歌いに節回し。「えんやこらせー、どっこいせ」という合いの手が特徴。これが河内音頭。その音頭取りは百派千人と言われるが、それでも足らず、盆踊りの季節は、彼らが各地の櫓を回って、大忙し。なぜこれほどまでに河内は盆踊りが熱いのか。


偽山伏の祭文から江州音頭へ

話は昔に遡る。室町から戦国にかけて、怪しい虚無僧や山伏があちこち行脚出没。幕府は、治安維持のため、虚無僧集団を隠密として取り込んで諸国通行を許す一方、山伏に関しては修験道諸法度(1613)で真言宗醍醐寺や天台宗聖護院の管理下に置いた。が、巫女の妻を連れ、村の神社に転がりこんで来て居座る自称山伏が、どこからか湧いて出て来た。連中は、わけあっていまは身をやつしているが、じつは由緒ある武家なのだ、と言い張り、富家の前で門付して祭文を読み続け、強引に御布施をふんだくるほか、霊力を騙って、雨乞いから夫婦ゲンカの仲裁まで、困りごと、相談ごとなら、なんでも始末した。

とはいえ、各地をうろうろしてきただけあって、相応に教養と見聞は広い。江戸や大坂の町中ではやっていた歌舞伎や浄瑠璃、講談を、ホラ貝の口三味線とともに見よう見まねで村人に語って聞かせ、売りものの語り芸とした。彼らがやたら好んだのは、武士の仇討ちもの。実際、彼らは、関ヶ原や大阪の陣、天草の乱、お家騒動などで敗残した喰い詰め浪人のなれの果てで、いろいろ思うところも残っていたのだろう。この語り芸は、口三味線の「でろれん、でろれん」から「デロレン祭文」と呼ばれ、同じ話を何度も語るものだから、やがて聞き手たちの方がこの「でろれん」を合いの手として入れるようになって、「祭文音頭」となる。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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