なぜウクライナは偉そうなのか? :新石器・青銅器時代のヨーロッパ

画像: 天然の「巨人教会」

2022.06.19

ライフ・ソーシャル

なぜウクライナは偉そうなのか? :新石器・青銅器時代のヨーロッパ

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/大戦後、ドイツナチスの「アーリア仮説」に代わって「クルガン学説」が唱えられ、ウクライナこそがすべての文明の源泉だった、などとされ、東欧移民のコンプレックスとソ連の国家主義のイデオロギーがあいまって、広く世界に流布され、東欧崩壊後、学術風通俗本で評判になり、東欧や移民先の欧米でカルト的な信奉者を生み出した。それがネオナチ。/

この氷河期末期の二万年前に南仏・イベリア半島のWHGで「ソリュートレ(Solutre)文化」が生まれる。彼らは、打製石器で薄い槍先を作り、雪の下の草を掘って生き延びていたマンモスや野生馬を狩って食べ尽した。この狩猟文化は、一万二千年前、流氷で渡った者たちがいたのか、北米のクローヴィス人(ロシアからアラスカを渡った古代北部ユーラシア人、Ancient North Eurasian、ANE)にも大西洋を越えて広まり、地球上からマンモスや野生馬をほとんど絶滅させることになる。とくにその最後の一万一千年からの千年間、「ヤンガードリアス(Younger Dryas)期」は寒冷化がひどく、現在よりも8度も低い状況が続いた。

一万年前になって、ようやく地球全体が温暖化し始めて「完新世(沖積世、Holocene)」となり、氷床が消えて大地が現われ、ユーラシア大陸は、パミール山地やチベット高原、アルプス山脈などからの豊かな雪解け水で、大きな湖の周囲に、緑の野原、それどころか鬱蒼とした森が広がった。とくに前6000年ころは、太陽活動も活発で、いまより気温が4度も高く、前後千年に渡って「ヒプシサーマル(hypsithermal、適温)期」と呼ばれる。

ところが、その末期の前5600年ころ、北極海の氷河が一気に崩壊して、「大洪水」が起き、気候も急激に寒冷化していく。これによって、西シベリア低地や地中海・黒海からとてつもない量の海水が流れ込み、天山山脈とコーカサス山脈だけを残して、この一帯すべてを水没させ、中央アジアや西域・モンゴルを巨大な内陸海にしてしまった。また、ヨーロッパ(以下、アルプス以北のみを指す)も、パリ盆地からニーダーラント(現オランダ)、ニーダーザクセン(現ドイツ北部)、ポーランドまで水没。汽水の湖だったバルト海にも海水が入り込み、ユトレヒト半島やスカンディナヴィア半島も、ちりぢりの島々になってしまった。

しかし、この大洪水によって、わずかな人々(後の「ウラル語族」)しか逃げて来なかった北のウラル山脈の山麓では、氷河期の野生馬の生き残りが勢いを取り戻すことができた。馬は、指一本で立っている奇蹄目なので山に向かないが、基礎代謝が高いので寒冷地に強く、また、硬い蹄で氷の下の草でも掘り出すことができた。


大洪水後の新石器時代

中央アジアは、その後、大洪水の海水が天日で干上がったため、その塩害で砂漠化していく。このため、コーカサス山脈に逃げていたCHGは、その後、もはや中央アジアには戻らず、現ウクライナ東部の丘陵を北西に上がって、前5500年ころ、河口の現ロシア・ベラルーシ国境付近(当時、ウクライナ平原はまだ大黒海だった)に「ドニエプル・ドネツ(Dnjepr-Donez)文化」(DDK)を生み出す。彼らは大柄な狩猟民で、オーロックス(大型の野生牛)やシカ、イノシシなどの肉を主食とした。また、彼らは遺体を黄土(砂漠粉塵土、故地だった中央アジアの象徴か)と埋葬する習慣があった。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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