試験に出る!いま熱い古代東西交流史(1)

2021.08.20

開発秘話

試験に出る!いま熱い古代東西交流史(1)

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/「世界史」というと、山川の教科書ですらいまだに、それは近代になって成立した、などと言う。しかし、地域史をつぎはぎにしていても、世界史は見えてこない。東西交流史を理解するには、最初から全体像を概観的に掴む文明論的視点、地球儀的思考が求められる。仮説的ながら、あえてその概観を試みてみよう。/

一方、南ロシア平原のプロト印欧語族ヤムナヤ人は、原始的なままだった。野営ながらも定住して村をなし、農業や牧畜、狩猟を営んでいた。家畜としては肉食用の牛や羊、ヤギが主で、鋤や車を持ち、農耕や運搬に牛や馬を使っている。しかし、馬はまだ、乗れてもロバ乗り(胴輪を掴んで骨盤に乗る)で、単独での騎乗疾駆はできない。また、彼らはすでにウラル山脈で採れる銅を知ってはいたが、柔らかすぎたため、ふだんは石器や木材、動物の骨や角、牙を使っていた。


青銅器の文明変革

きらびやかな金や銀は、早くから装飾用に用いられていた。しかし、柔らかすぎて、金属器としての用をなさない。銅は、金銀の5倍の硬さがあるが、それでもかんたんに曲がる。鉄はどこにでもあって銅の1.5倍以上も固いが、当時はまだ1500度に達する炉が無く、溶かすことができなかった。

しかし、前3000年ころから、エジプト、ついでメソポタミア、そして中国で、青銅が発明される。これは、銅の錫(スズ)との合金で、銅や錫が柔らかいのに、これらを溶かし合わせた青銅は、鉄並みに固く、石よりも加工しやすい。融解も銅の1000度でいける。それゆえ、青銅は、武器の素材となり、四大文明圏での王権の支配を劇的に拡大し、高度な文明を発展させていく。(ただし、青銅武器は貴重なので、王の独占。一般兵卒はあいかわらず木製の弓矢と棍棒。)

かくして、錫は、文明の興廃を握る最重要戦略物資となった。とはいえ、錫は、金以上に希少だった。というのも、錫は、新期造山帯、つまりユーラシア大陸の接合部分にしか無いからだ。エジプトやメソポタミアは、アナトリア半島北西部ケステル鉱山から錫を得た。中国の黄河文明は河西走廊の天然化合物を使い、インダス文明は北のパミール山地から調達した。また、天山山脈周辺のテュルク人は、東のアルタイ山脈のものを広く交易で手に入れた。そして、これらの文明では、鉱山を抑え輸送を握ることが生き残りの鍵となった。

しかし、大地が古い黒海北岸のあたりは、錫が無い。それで、前2400年ころ、ヤムナヤ人の一部は、プロト・ギリシア人として、セルビア山中で錫が採れるトラキアに移住。彼らは、ここで作った青銅の武器とともにさらに南下し、ギリシア諸都市を興す。また別の一部は、カスピ海東岸トゥラン低地を抜け、イラン高原東北コッペダーク山脈に沿って東に移動し、テュルク語族を押しのけ、前2000年ころ、アーリア人として、やはり錫が採れるバクトリアに住み着く。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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