試験に出る!いま熱い古代東西交流史(1)

2021.08.20

開発秘話

試験に出る!いま熱い古代東西交流史(1)

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/「世界史」というと、山川の教科書ですらいまだに、それは近代になって成立した、などと言う。しかし、地域史をつぎはぎにしていても、世界史は見えてこない。東西交流史を理解するには、最初から全体像を概観的に掴む文明論的視点、地球儀的思考が求められる。仮説的ながら、あえてその概観を試みてみよう。/

遊牧民(ノマド)という呼び名は、誤解の元。彼らの生活形態は、あくまでいずれかの地方の定住者。ただ、問題は、水のある湖や河がしばしば大きく移動してしまうこと。そのために、彼らは村と農地を移動させることがある。くわえて、このあたり、夏と冬で寒暖が違いすぎる。このため、農業も外牧も、夏は暑さを避けて山の高原、冬は寒さを避けて麓の山裾に。ただし、夏営地と冬営地は、それぞれの一家で決まっており、あちこちに移動するわけではない。

また、この地帯、東西交易がさかんで、水に余裕のある大きな扇状地にはオアシス都市ができ、その周辺の農業開発も大規模に進む。このため、都市の大商人などは、自分の牧畜をその外の遠い草原まで連れて行く余裕がなくなり、これを、どのみち自分たちの牧畜を外牧する周辺のオアシス村に委託するようになる。

やがてオアシス村の中には、中心オアシス都市の外牧受託専従になって、農業などはオアシス都市やその交易に依存するものも出てくる。また、オアシス村も、肉や革、毛織物などの商品をオアシス都市に出し、さらには、都市間の交易輸送、その武装警備などの役務を引き受けるようになる。

彼らは輸送にもっぱらラクダを使った。乾燥圏に適したフタコブラクダは、偶蹄と肉球で砂をつかんで、二百キロもの荷物を積んで、一日に百キロも歩ける。前のコブを足で挟めば人が乗れないことはないが、もともと右前後足、左前後足と、左右交互に出す側対歩であるために、これが走ると、脚力ではなく、両後足をハの字に開いて背筋と腹筋で砂を蹴って飛ぶような形になり、頭から背中まで龍のようにうねって、人を跳ね飛ばしてしまう。(伝説の麒麟の元か。)そもそも、ラクダは、どこに進むかわからない。だから、ラクダの鼻輪を前のラクダの尻尾とつなぎ、トレインにして、その先頭のラクダの鼻輪を徒歩で引いていく必要がある。

かくして、個々のオアシス都市に、それぞれの周辺のオアシス村が数多くぶら下がる社会形態となった。これらのオアシス村は、同じオアシス都市の外牧や輸送の役務受託において、たがいに商売がたきであり、同じ地域にあっても、部族として仲がいいわけではない。つまり、民族としての統一性など、一時的な防衛連合でもないかぎり、成り立たない。

その一方、客人は歓待し保護した。それは、客人が公益上の利得をもたらすからというだけでなく、その背後にどれだけの勢力が控えているかわからないからでもある。あしざまにあしらうと、その報復は自分たちを滅ぼしかねない。また、オアシス都市でも、彼らは文字を持たなかった。これは文化的に遅れていたからではなく、つねに多言語で、文字にする以上に変化が早く、また、へた文章を残すと、継承者が不定で危険だったからだろう。だから、彼らはつねに一期一会の現物決済で、情勢が変われば、かんたんに約束も変わる。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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