/世界を大きさで計るデカルトは、幾何学を代数で解く解析幾何学を独力で拓いたが、ニュートンやライプニッツは、それによって微積分を確立したものの、中世的なエーテルと無限分割を引きずるデカルトを超え、力を実体単位とする万有引力とモナド、光粒子の近代の科学的世界観の扉を開けた。/
真空と粒子
「自然は真空を嫌う」というアリストテレスに倣って、デカルトを含む当時の人々は、宇宙はエーテルで満たされている、と信じていました。しかし、ガッサンディ(1592-1655)はコレージュ・ド・フランス数学教授でしたが、紀元前300年頃の古代エピクロスに傾倒し、死後1658年に出版された『統合哲学』で、エピクロスのアトミズムを紹介しました。デカルトは物質を無限分割できるとしていたので、デカルト派は原子論に強く反対しました。
「神学者やデカルト派は原子論を認めませんでした。真空は神の創造の欠陥を意味するからでしょう」
一方、マクデブルク市長フォン・ゲーリッケ(1602-86)は、三十年戦争(1618-48)からの復興に努め、彼は消火ポンプを改良して実験を行い、その空間が音を伝えないことから、エーテルのない真空そのものであることを確認しました。彼はまた、大気圧の変化を発見し、気象学の扉を開きました。
「戦争で残ったポンプを使ってこんな実験をするなんて、面白い市長ですね」
フランシス・ベーコンと錬金術バラ十字団にちなんで、アイルランド地主でガリレオの弟子のボイル(1627-91)は、同僚と「見えない大学」を作り、科学研究に関する情報を交換しました。ただ、当時の英国は1642年の清教徒革命と1660年の王政復古で政情不安定だったので、陰謀集団として疑われる危険性があり、彼らは、国王特許で、彼らは王立協会を設立しました。
「彼はほんとう秘密科学結社を組織しちゃったの?」
ボイルはゲーリッケの真空実験を再現したかったのですが、それには巨大ポンプが必要でした。そこで彼はまず、気体機関、つまり、シリンダーの密閉底をギアで上げ下げできる装置を発明しました。これにより、彼は、気体の体積は圧力に反比例するという、いわゆるボイルの法則を発見しました。いずれにせよ、気体が体積を変えうるという事実は、気体にもともと隙間があることを示唆しています。さらに、彼は、化合物を純粋物質とただの混合物と区別することで、化合物を構成するなんらかの小さな粒子を予見しました。
「ガッサンディのアトミズム復活が示したように、じつはどこにでも真空があった」
ニュートン対ライプニッツ
しかし、アリストテレスに従って、ほとんどの学者はこれまでと同様に、世界には真空はなく、すべての物質が無限分割可能である、と信じていました。しかし、彼らは、星はもはやみずから動く神ではなく、ただの物体であり、宇宙を満たすエーテルの風が惑星を太陽のまわりを巡らしている、考えました。
哲学
2024.03.05
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2024.09.22
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。