​誰と過ごすかで人生の幸福は決まる

2023.03.24

ライフ・ソーシャル

​誰と過ごすかで人生の幸福は決まる

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/人生は、時間だ。だから、幸福は、その時間を誰と過ごすかで決まる。ともに成長し、活躍し、衰弱する同世代のパートナーや友人、同僚こそが、人生の幸福を与えてくれる。/

その人が誰であるかは、その人が何を成し遂げたかで決まる、とアリストテレスは言った。だが、偉大すぎる成果は、おうおうに世間にはまったく理解されない、それどころかむしろ大きな反発を買う。世間受けがいいのは、見た目も華やかな勝利の栄誉だが、そんなのは翌年には次の勝利にかき消され、忘れ去られる程度のもの。つまり、なにかを成し遂げても、かえって不幸になるか、ただ有名になって世間でちやほやされるだけで、どのみち人生としては空っぽのまま。

人生は、時間だ。だから、その人の幸福は、その一度きりの大切な時間を誰と過ごすかで決まる。それも、本人が成長し、活躍し、衰弱する。この変化は避けようがない。だから、そのときどきで、良い先生、良い仲間、良い継承者に恵まれるかどうかが、そのぞれぞれの時間を充実させる鍵になる。そして、ともに成長し、活躍し、衰弱する同世代のパートナーや友人、同僚こそが、人生の幸福を与えてくれる。

逆に、ダメな連中に囲まれていると、自分もダメになる。たとえば、ウソつきばかりの中にいると、自分もウソに紛れ、ウソに塗れなければ、生きていけない。人を貶めることしか考えない連中と暮らせば、自分もまた人を貶めて、生きていくしかない。いったい、だれがそんな腐った不幸な一生を送りたいと思うだろうか。

怨憎会苦(おんぞうえく)。仏さまの教えた苦の一つ。悪い人、そうでなくても相性の悪い人と同じ空気を吸っていると、息が詰まる。自分が意地になったところで、相手が変わるわけでなし、結局、自分が不幸を背負い込む。こんな人生の時間は、ムダだ。それどころか、そこに留まることで、自分で自分を不幸にしている。どうにか早くそこを脱出する算段を立てないといけない。

一方、愛別離苦(あいべつりく)というのもある。いかにたがいに愛し合っていた相手でも、事情があって、そして死によって、別れなければならないこともある。しかし、そんなときこそ、支えてくれるのが、残る人々だ。良い人々に恵まれていれば、同じ悲しみを分け合い、慰め合うことで、失った人の思いを受け継ぎ、その人がいてくれたことのありがたさをいつまでも身近に感じることができる。

世間には、生まれながらに、人に恵まれている人もいる。だが、人にぶらさがるだけ、というのでは、いずれ愛想を尽かされる。ともに努力し、支え合って、たがいの人生を充実させることに誠意を尽くしてこその人の関係。そんなことをしても、なんにもならない、そんなのは何者でもない、ただの無名の小市民だ、と人は言うかもしれないが、どのみちそれこそ世間なんて、なにかしてくれるわけでもないのに、ただあれこれ口うるさく人の批評をするだけなのだから、ほっておけばいい。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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