グローバリズムの行く末:社会格差と疫病・犯罪

2019.02.08

ライフ・ソーシャル

グローバリズムの行く末:社会格差と疫病・犯罪

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/ブロック経済は国際戦争を引き起こす、というのが、金満グローバリスト連中の決め言葉。しかし、それは、やつらのウソだ。むしろ、グローバリズムこそが国内破断を引き起こす、と言うべき。でかすぎるプリンは、自重で崩れるのだ。/

一言でいえば、文明は、人間による人間の家畜化によって成り立っている。このあたりの事情は、ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』やユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』など、近年、大いに話題になっている。そして、家畜になって、幸せになれる、生活が向上するなら、誰からも文句も出ないのだが、問題は、ある時代の文明がそのパラダイム限界に近づくと、もはや家畜の生活を向上させられなくなる、それどころか、かえって低下させる、ということ。手に負えないほどのペットの多頭飼いと同じ。こうなると、いずれ家畜が飼い主に反逆を起こす。そうでなくても、疫病などの大流行で、飼い主ごと全滅させる。

現代社会では、おそろしいほどに階層が深くなっており、日本国内ですら、不定期バイトと大企業トップとの年収分配格差は、100万と100億で、一万倍にも広がっている。この結果、国富社富がいくら増大しても、階層格差を補うには足らず、結果、下層は、協力分業するほど、国内や社内の分配段階で、むしろ「身内」に「搾取」され、さらに貧しくなる。にもかかわらず、彼らの独立自営の道は閉ざされており、過半ギリギリのところで、体制全体は維持され続ける。これは、火薬庫に圧力をかけているような、きわめて不安定で危険な状況だ。

文明論の史的観点で見ると、じつは、これと同じことを世界でも日本でも、古代末期や中世末期、近世末期に、繰り返しやっている。古代や中世、近世は、村単位、都市単位、国単位の協力分業で、たしかに生産性が上がった。しかし、それ以上の社会規模になったとき、その生産性向上も階層格差の拡大を補いきれなくなり、最下層の収益が協力分業以前よりマイナスになってしまって、既存体制に参加したがらなくなる。

ここで、上が考えるのが、移民導入や国外移転。面倒な最下層との関わりを止めて、外国人や外国に依拠しようとする。外国人からすれば、その協力分業体制に組み込まれるならば、その最下層であっても、自国にいたときよりも、成果が増大する。もしくは、組織を外国に移せば、生産性の向上が不足していても、下層への格差を拡大して、上層部の現状維持を図れる。これが「グローバル化」。その正体は、生産性向上限界に対する一時的延命策にすぎず、古代末期も、中世末期も、近世末期も、結局は、その後、体制矛盾が破裂して、もっと大規模でドラスティックな構造転換に至らざるをえなかった。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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