/興味深いのは、縄文時代の遺跡が諏訪や茅野、佐久平のような高地平野に多くあったりすることだ。この二千年より以前、日本列島になにがあったのかわからないが、これからの気候変動、人口減少、産業衰退を考えると、いま現在の土地価格や利便性に振り回されるより、自分が生きている間の、人間としての実際の住みやすさで考えたほうがリーズナブル。/
歴史は、細部より大局を知ることが大切だ。この大きな意味で、日本の歴史は、土地を本位資産として発展してきた。だが、それは、かなり綱渡りだった。
まず第一に、日本、というものができたのは、大和朝廷からだろう。すでに弥生時代、紀元前300年頃からから米作農業が入ってきていたが、縄文海進が終わって干上がった谷間に多雨と土砂流出でできた沖積平野で、偶然にも陸稲を水田にすることとなった。しかし、それには排水路の建設が必要で、そこに各地の地方政権が成立。これによって、日本は、農業生産を爆増させた。
とはいえ、これも、繰り返しの貧困や疫病が定期的に人口激減をもたらし、建設と農耕の労働力は限られていた。このために、奈良平安朝廷は開墾を奨励したが、労働力を確保できた貴族寺社の荘園以外、大半の平野は永らく沼地原野のまま放置されていた。それが、国力増強を政治的に図る戦国大名において、「武士」とは名ばかりの組織的な土木建設部隊が組織的に活動することで治水や潅漑が進み、一気に生産力を向上させ、米本位制を確立する。このことにおいて、大名にとっても、農民にとっても、農地こそが絶対根本の財産となった。
江戸幕府制度は、この地方開発大名の連合体としてできていた。ここにおいて、せっかく苦労して拡大した田畑を荒らす戦乱は、大名も、農民も、だれも望むところではなく、また、米以外の需要、つまり、味噌・醤油・酒など、また商業作物や工芸特産品などの流通も盛んになってくる。これらの輸送や取引のために、江戸や大坂など、これまで田畑にもならなかった河川下流に運河を張り巡らした商業都市が成立してきた。ただし、これが可能だったのは、井戸で真水が出るか、遠くの河川から生活用水を引いてこられる地域に限られていた。この有限の商用地は、城下町として、大名家が大小の武士に配分貸与して管理。また、これらの生産物資取引の経営管理のために、斜面からの湧き水が利用できる台地中腹に、多くの役方(事務)武士を抱えた大名屋敷も置かれた。
明治の統一国家になって、全国的な人口流動が起きると、たちまちまた疫病が大流行。そこで、明治政府は、文明開化の象徴として、ガス灯以上に、水道敷設に尽力した。これによって、これまで行楽野原のまま放置しておくしかなかった東京や横浜、大阪、神戸、長崎の台地の上にまで、新政府や貿易商、新興財閥の中流世帯の細々した住宅が一気に広がった。一方、河川沿いの水田は埋め立てられ、大量の真水を必要とする工場用地に転用された。この動向は、日清日露戦争を経て、富国強兵の軍事施設や過剰人口の都市吸収で国家的な方針となり、その資源調達のためにも、日本は対外侵略をせざるをえなかった。
戦争で多くを失ったとはいえ、植民地からの引き上げてきた人々は、都市の労働者か、山間荒れ地の開拓者になった。喫緊の問題はエネルギーで、政府はかれらをダム建設に動員した。これによって、都市部へは、おどろくほどの水利と電力が可能になり、細かく張り巡らされた電車と、蜂の巣のような団地やビルで、集約性と事務力を得た。一方、地方は、地主解体、農協創設、農地整理、化成肥料で、生産性と政治力を高め、政府予算による高速道路や新幹線を誘致し、大きく発展を遂げた。ここにおいて、土地は、商業地、住宅地、開発用地として、いよいよ絶対的な価値を持つところとなり、金融機関も土地を融資の抵当とすることで、莫大な資金供給を続けた。
そして、それがいまだ。これらがいま、すべて逆回転し始める。見てのとおり、まず国内工場の必要性が無くなりつつある。いまはまだ工場跡地がマンションなどになっているが、これが可能なのは、交通至便な都会の駅近くに作られた昭和初期までの古い軍事関連のもののみであり、人口減の地方工場跡は、転用方法が無く、野っ原のまま放置され始めている。同様に、台地上に強引に開発された新興住宅地。これも高齢化が進み、また、鉄道やバスも廃線となり、いくら安価でも新規に移り住もうなどという若者がいようはずも無く、今後、どこもゴーストタウンとなることが確実。また、農地も、世代交代で不在地主の相続権利が複雑になりすぎ、また、政治的な制約だらけで売買不能。かといって、法外な地代を連中に搾取されてまで、新規に農業を始めようなどという若者は、老害老重だらけの地方僻地になんか絶対に行かない。かろうじて価値があるのは、いまだ地方からの人口集中が続く都市部の土地だ。しかし、これも、水道と電力というライフラインで、外部から生命維持されているにすぎない。これらが断たれれば、文字どおり全滅。
紀元前17世紀ころ、世界的な気候変動があり、大量の海水が内陸部にまで入り込んだらしい。水はすぐに引いたが、海水の塩分が植物不毛の地にしてしまい、以後、砂漠化が進んで、中央アジアや中東、インダスの文明は滅び、民族大移動を強いられた。もともと日本の農業、そして、そこにできた都市も、上述のように、ほとんどがわずか標高5メートル程度の沖積平野にある。津波や海進があれば、これまたどこも海水をくらって全滅だ。そもそも、土地を抵当とする融資が破綻し、日本経済は根本から崩れる。
興味深いのは、縄文時代の遺跡が諏訪や茅野、佐久平のような高地平野に多くあったりすることだ。この二千年より以前、日本列島になにがあったのかわからないが、これからの気候変動、人口減少、産業衰退を考えると、いま現在の土地価格や利便性に振り回されるより、自分が生きている間の、人間としての実際の住みやすさで考えたほうがリーズナブル。いろいろ日本の限界が見えてきた昨今、先のことは先のことで、それを当てにするのは、かえってリスキーだろう。
純丘曜彰(すみおかてるあき)大阪芸術大学教授(哲学)/美術博士(東京藝術大学)、東京大学卒(インター&文学部哲学科)、元ドイツマインツ大学客員教授(メディア学)、元東海大学総合経営学部准教授、元テレビ朝日報道局ブレーン。
歴史
2025.06.12
2025.07.16
2025.10.14
2025.11.03
2025.11.14
2026.03.19
2026.04.09
2026.04.14
2026.06.07
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。
フォローして純丘曜彰 教授博士の新着記事を受け取る