​心理学と社会学の創生期

画像: 1900年のシカゴ

2025.09.21

ライフ・ソーシャル

​心理学と社会学の創生期

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/通俗唯物論は、物理的な人種や階級の存在のみを認め、人間の心を否定してしまった。これに対し、文脈や世界観を重視する解釈学が出てきたが、これはこんどは個人の実在しか認めない社会唯名論に陥った。心や社会のように目に見えないものを客観的科学として解明する方法として大きく役だったのは、数学の関数論だった。/

「対象を行動への影響として定義するというパースの考え方と、対象と反応の関係性から意識を関数的に定義するジェームズの方法は、論理的にまったく違うよ」

ボルドー大学の社会学教授であったデュルケーム(1858-1917)は、ル・ボンの社会実在論を科学化しようと試みました。そこで、彼も、集団心の実在を、関数として定義しました。個人の行動が自殺のように一様に歪んでいるとき、そこにはなんらかの集団心が働いています。したがって、社会唯名論のようにいくら個人の心理を分析しても、個人から独立した集団心を捉えることはできません。また、アノミーとして集団心を失ってしまうと、私たちは自由になるどころか、混乱して個人としての行動もできなくなる、と彼は論じました。このように、彼は集団心を社会的事実から考察しようと試み、健全な集団心のための道徳教育の重要性も強調しました。

「数学的関数論は、心理学と社会学という科学に大きな進歩をもたらした」

一方、ベルリン大学の私講師であったジンメル(1858-1918)は、ディルタイ教授が頑固な社会唯名論者であったため、苦境に立たされました。そこでジンメルは、社会の存在を前提とせず、むしろ、社会がどのように形成されるか、を研究しました。彼は、たとえば会話や交易といった個人間の相互作用過程に焦点を当てました。彼はそれを「社会化」と呼び、支配、競争、分業、模倣、社交などとして定式化し、そこに人間の距離を考察しました。また、彼は、貨幣のようなシンボルがこれらの定式に作用していることも発見しました。

「彼の形式主義社会学は、構造主義の先駆けだな」

ミード(1863-1931)は、ハーバード大学でジェームズに師事した後、ドイツに渡り、ライプツィヒ大学でヴントや最新の研究動向を学びました。石油王ロックフェラー(50、1839-1937)は1890年にシカゴ大学を設立し、ミードも1894年に社会学部の設立メンバーとして招聘されました。当時のシカゴは、アパラチア地方の鉱山労働者ヒルビリーや、大恐慌時代のドイツ移民がミシガン湖沿岸の新興重工業で働くためにやって来て、爆発的な成長を遂げていました。そのため、シカゴは都市形成における社会学の現実的な実験場となりました。ここでミードは、素朴なプラグマティズムの単純な刺激反応モデルを洗練し、相互作用主義として社会学に応用しました。現実の人間関係においては、行動に先立ってシンボルを提示することで、意味の合意を確立しなければなりません。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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