農業は百年の計:片野学先生の話

画像: 南阿蘇村おあしす米生産組合

2025.08.07

ライフ・ソーシャル

農業は百年の計:片野学先生の話

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/工業的に単位面積当たりの効率的収穫増を図るなら、それだけカネと手間をかけなければならない。だが、片野先生は、雑穀や豆類との混植陸稲、それどころか雑草放置の無耕作を語っていた。/

米が足らない、それで、増産に舵を切る、だと。おいおい、政治がやたら農業に口を挟むから、おかしくなったんじゃないのか。

以前、阿蘇に、片野学先生がいらっしゃった。東大の後輩ということで、親しくしてくださり、農業や自然のことはもちろん、学者のありようについて、多くを教えてくださった。亡くなられて、もう十年になる。しかし、そのおかげで、いまも南阿蘇の農家の方々と御縁をいただいている。

先生は実践の人だった。現地に足を運び、みずから田に足を入れて、細かく苗を観察していた。地元の人々からも、大きな尊敬を集めていた。ところが、嫉妬のせいか、同僚の教授たちの言いようは、ひどいものだった。一年に一本しか論文を書かない、そのうえ、いつも研究室にいない、などと。そりゃ、九州でも阿蘇は一期一毛作だ。さまざまな試みにも、実際の農業は、結果が出るのに一年かかる。途中観察も不可欠だ。実験室の試験管で細胞を振って、ちゃちゃっと結果を出すようにはいかないのは、むしろ当然だろうに。

木が育つのに、五十年、百年。それで、林業会計については、戦後、いろいろ改正されたものの、それでもかろうじて公社が成り立つかどうかというところ。まして農業会計は、過去の遺産と減反の政策に振り回され、はるかに遅れたままになっている。たしかに、米作りだけなら一年だが、機械化、土壌改良、圃場整備、水系管理、品種改良となると、やはり林業と同じくらいの時間スケール、二世代、三世代が必要だ。いくら農業を企業化しようとしても、簿価にならない「資産」価値の管理維持向上こそが重要で、工業会計のような経営管理では無理だ。

おまけに、とんでもない日本社会の変化、気候環境の変動だ。町の連中は、現場も知らずに、やたら気取って口先でSDG'sなんて語りたがるが、持続もなにも、これまでのやり方では農業が、そして農村が成り立たなくなってきている。単年度の収穫量のみを増産しようとするなら、どこぞの政治家が軽く口で言うように、予算をかけて、肥料でも薬剤でも大量にぶちこんで、バイトでも外国人でも送り込んで、飢餓収奪する手もあるが、そんなことをすれば、その後、どんなに手を入れても、土地が痩せて不毛の地になってしまう。

村おこしでも、少子化対策でも、カネでなんとかできると思うこと自体、それは都会の工業的な単年度会計の発想だ。むしろ、そういうわけのわからない連中の思いつきに引っかき回されたりせず、数世代にわたって安心して地方で農業が営める環境が、いま欠けている。かと言って、もちろん、かつてのような庄屋と小作、大家族専業のような農村には戻れまい。だが、現状では、企業として、百年単位で農業経営をするにも困難がある。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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