凡庸マーケティング:多様性の残滓

2023.08.21

営業・マーケティング

凡庸マーケティング:多様性の残滓

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/人とは違う、人より先を行っている、と自認する、奇抜なファッションで見た目も尖ったマーケッターなんか、もうまったくの時代遅れ。いかに凡庸に徹して、特徴や個性へのこだわりを断捨離、全放棄できるか、それが次の時代のマーケティングには求められている。/

テレビやネットを見てみろ。だれだかわからない連中が、なにかだらだらとやっている。若くもないが、年齢の重みも無い。けっして美男美女ではないし、トークがさえる頭の良さがあるわけでもない。漫才やコント、歌やダンスがうまいわけでもないのに、あれで「芸人」とか「タレント」とか言って、そこそこ有名で、あちこちに出ている、ただのそこらの、にいちゃん、ねえちゃん。

ふつうのまともな人は、なんだ、こいつら? と、すぐにチャンネルを切り換えるだろう。だが、まさにそこだ。そうやって多くの人々がチャンネルを切り換えた結果、まさにやつらだけがそこに残ったのだ。

小学校のクラスの仲間を思い出してみよう。頭のいいやつ、スポーツのできるやつ、絵が描ける、歌がうまい、かと思えば、どんくさいやつやイヤミなやつ、そして、とんでもないワルガキ。そうやって数え上げていっても、数が合わない。なんとなくいたような気がするやつはわかるのだが、うちのクラスだったか、となりのクラスだったか、いまひとつはっきりしない。

さて、放課後、頭のいいやつは塾へ、スポーツのできるやつは運動部、ほかの連中は絵や歌のクラブだ。たいていのやつは、そうやって、喜々として自分のしたいことをやりにとっとと教室を出て行く。ところが、塾やクラブに行くでなし、かといって、家に帰るわけでもなく、なんとなくだらだらやっているやつらが教室に残っている。それこそ、顔も思い出せない、ぱっとしない連中。

いま、何が起こっているか。テレビやネットが典型だが、多チャンネル化で、映画なら映画、韓流なら韓流、ゴルフならゴルフ、と、尖った視聴者はそれぞれの専門のところに去って行った。しかし、自分でなにをしたいわけでもない、できるわけでもない連中だけが、以前からのテレビやネットの視聴者として残った。そして、仕事終わりの深夜でもないのに、まだ明るいうちから、自分たちと同じような、なんにもなれない連中のなんにもならない話をだらだらと見ていている。

マーケティングにおいて、かつて、オンリーワンだの、セグメントトップだの、ランクアップだのが唱われたが、それはまだ富士山型、八ヶ岳型の、より上をみんながめざしたがる大きな市場があったころの昔の話。その後、多様性がどんどん拡がって、ぜんぶの山がどんどん小さく低くなっていき、それぞれのセグメントは、わずか数人までにばらけて減ってしまった。相応に客の数を求める専門雑誌、専門番組のようなものは、もはや成り立たない。残ったのは、公園の砂山みたいな、しょうもない、ぺったんこな市場。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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