大学に存在するはずのない体育会

2023.12.07

経営・マネジメント

大学に存在するはずのない体育会

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/「寄附行為」に明記されている学部や大学院、研究所以外のもの、体育会の「部」などというものは、大学に存在しない。大学が不正に体育会を支援するほど、一般学生の大学に対する反感が募り、本来の教育研究もおろそかになって、大学本体が倒れてしまう。/

法的に言えば、大学は一種の財団法人であり、会社の定款(存在原則)に相当するものを「寄附行為」と呼ぶ。「行為」と言っても、ようするに大学の学則の大元、憲法のような文章だ。とはいえ、これはどこの大学でも、あまり大差ない。冒頭が名称や所在地、次が目的と組織、そして、その理事会や運営規則、そして資産管理。

さて、大学の目的は、たいていどこでも、教育基本法及び学校教育法に基づく教育研究、ということになっており、また、これらの公法に基づいて、組織として学部学科や大学院、研究所が明記される。そして、これらの活動に、運用資産果実や学費、寄附金、補助金を資することになっている。ここまで読んでわかるとおり、法律上、「寄附行為」に明記されている学部や大学院、研究所以外のもの、つまり、体育会の「部」などというものは、大学の組織として存在しない。財団法人としての大学の資産は、理事長個人や理事会が好きかってにできる財布ではなく、「寄附行為」に無い正体不明の圧力団体に貴重な大学資産を流用することは、企業で言えば、総会屋に利益供与するのと同じ。

もちろん学生たちがかってに部活をするのは自由であろうし、それが大学単位だろうと、インターカレッジだろうと、大学は知ったことではない。また、大学の社会的存在意義に鑑みて、その施設を遊休時に融通するのも可だろう。ただし、それは学内団体だろうと、地域団体だろうと、扱いに違いがあってはなるまい。まして、学内団体だからと言って、法外な資金援助をすること、寄附行為に明記された教育研究にこそ供すべき資産施設を永続的に占有させることなど、あってはなるまい。

海外出羽守のようなことを言うのは、はばかられるが、学生でスポーツに興じるのは、ヨーロッパの場合、特権貴族や富裕子女に限られている。また、米国の場合、スポーツ奨学生は、それ専従の大学の「ペット」のような扱いで、だれもまともな学生とは見なさない。どちらの場合も、成人の大学生ともなれば、勉学費や生活費はローンを含めて本人がどうにかするのが当然であって、一般学生は、奨学金を取るくらい学業に打ち込むか、バイトに明け暮れるかで、部活などやっているヒマは無い。

日本で半端に学生の体育会が大きくなったのは、プロスポーツが未熟な環境にあって、新聞やテレビが販拡手段として利用し、また、大学側もまたこれを大学名の宣伝の場として利用してきたからだろう。おまけに、高校から続けてすぐ大学に入るせいで、貧乏庶民まで勉学費や生活費を親が出すのが当たり前のような誤解が普及した。ここでは、大学生は、成人のくせに社会人未満の「モラトリアム(義務猶予)」で、それで、大学も、バブル経済とともに、部だの、サークルだの、遊んで暮らすレジャーランドのようになり、大学側も、むしろその風潮に便乗して校勢拡大を図ってきた。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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