​フリーメイソンとフランス革命を巡る会話:フランクリン・ゲーテ・ナポレオン

2021.03.22

開発秘話

​フリーメイソンとフランス革命を巡る会話:フランクリン・ゲーテ・ナポレオン

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/ブラウンシュヴァイク侯は、フント男爵のドイツ人大移民団を米国独立弾圧の傭兵軍に変え、ロスチャイルド家を通じてその利益を仏大オリエント社のエジプト十字軍に投資。しかし、その大統領オルレアン平等公は武装市民革命を企て、マインツ独立の失敗、ロベスピエールの独裁、ナポレオンのクーデタと、メイソンリーは迷走していく。/

「ドイツのボーデ派はブラウンシュヴァイク侯派に寝返った?」

「もともとただの市民や下級貴族で、表立って「厳格(ストリクト)新聖堂騎士団(テンプラー)」総(そう)帥(すい)ブラウンシュヴァイク侯に逆らえるほどの連中じゃないからね」

「そうですよね……」

「でも、ゲーテは、なかなか一筋縄でいくようなやつじゃないよ。彼はもとはフランクフルト市の大商家の出で、同じくフランクフルト市に居を構えるミラノ人銀行家ブレンダーノ家とも親しかった。このブレンダーノ家が、このウィスバーデン市の西のラインガウに別荘を持っていて、ゲーテは昔からよくそこに滞在している。このラインガウの帝国代官がビルケンシュトック家で、ヨハン・ビルケンシュトックは、ウィーン市のハプスブルク家宮廷顧問の重鎮。金羊毛騎士団(オルドレ・デ・ラ・トワソンドール)の一員として同じくハプスブルク家に仕えるハンガリーのエステルハージ侯爵アントン一世は、ゲーテらとともにブラウンシュヴァイク侯の対仏戦争に加わっていたし、その親族のエステルハージ伯ヴァレンティンは、以前からフランス王妃マリーアントワネットのお気に入りの一人で、革命のさなかにあってもフランス王室と外部の連絡係を務めていた。また、ボン市で不遇をかこっていたベートーヴェンは、ハンガリーのエステルハージ侯家に仕えていたハイドンに招かれ、九二年十一月にウィーン市に移り、そこでビルケンシュトックの支援を受けることになる。さらに後の九七年には、ビルケンシュトックの娘アントニアとブレンダーノ家の跡(あと)継(つぎ)フランツが結婚」

「なんなんです、この人たち?」

「ヨンセン男爵、ボーデに次ぐ、ドイツ啓蒙主義者の人脈だよ」

「つまり、イルミナティの本流?」

「そういうこと。ただし、連中は、国粋主義のジロンド(ボルドー)派や恐怖政治のジャコバン(ヤコブ修道院)派には反感を持っていたし、ナポレオンが出てくると中で分裂してしまう」


ロベスピエールの暴走

「でも、それって、もうすこし先のことでしょ」

「いや、マインツ共和国の壊滅がナポレオンを作ったんだ。この敗北で、主戦論のジロンド(ボルドー)政権がガタガタになって、ルイ十六世の処分にも慎重ならざるをえなかったのだが、そこでかのオルレアン「平等(エガリテ)」公はサディスト高級娼婦テロワーニュが指揮する女性騎馬隊なんかを使って世論を沸騰させ、九三年一月の国王処刑へ持って行く」

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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