偽の国・食の未来

2007.12.19

ライフ・ソーシャル

偽の国・食の未来

金森 努
有限会社金森マーケティング事務所 取締役

日本漢字能力検定協会の「今年の漢字」は一昨年の「愛」、昨年の「命」に続き、「偽」と決まった。政治も経済もスポーツも、何から何まで偽装に覆われたこの国を的確に象徴した一文字ではあるが、暗澹たる思いは否めない。 その中でも人々の生活に最も身近な存在である「食」の偽装について、原因の一端と今後のあるべき姿を考えてみたい。

食品加工業者から有名料亭までが手を染めた、数々の食の偽装の中でも目立つのが「産地偽装」だ。しかし、その根底にあるのは生活者の「ブランド食材信仰」ではないだろうか。有名産地を尊ぶ嗜好が巧みに利用されているのである。比内地鶏などは、明らかに供給を上回る需要が偽装を誘発したとも言われている。
さらに偽装で明らかになったことは、内部告発で発覚するまで生活者はまんまと気づかず、ほとんど疑いも持っていなかったことだ。本物のブランド食材も偽装ブランドも味の区別が生活者にはできていなかったことが露呈したわけだ。そこに偽装のつけ込む余地があったことも明白になった。

とはいえ、偽装を行った企業を是認するわけでも、見抜けなかった生活者を責めるわけでもない。そもそも、食材にそれほどの差があるのかということだ。
確かに、手塩にかけて栽培、飼育、養殖された食材には見事に旨いものもある。それとても、鮮度や調理によって変わってしまう部分は大きい。
天然物の海産物などは、出荷以降の鮮度管理や流通などへの気遣いの違いはあるかもしれないが、そもそもが同じ海から捕れたものだ。例えば有名な富山湾の「氷見の鰤」は隣の新湊漁港で水揚げするとその名を冠することはできなくなる。故に、こぞって漁船は氷見に鰤を卸す。魚に差はないのだが。

有名産地の食材でなくとも旨いものは旨いという、本質的な価値観に生活者も戻らねばならないのではないだろうか。ブランドネームに踊らされ、高い対価を払い、あげくに偽装に騙される。何ともやりきれない。ブランドなどなくともよいという、むしろ自由な感覚を取り戻したい。
「Less is more」はドイツ生まれの建築家、ミース・ファン・デル・ローエ(Mies van der Rohe、1886~1969)の言葉だ。「無いことは豊かなこと」と、ミースは虚飾のない建築様式を提唱した。自らの舌で感じられる味こそが本物でブランドは虚飾であると喝破するぐらいの気概を持ちたいものだ。

しかしながら、認識を改めるべくは生活者だけではなく、まずは企業からであることは明白だ。食品や料理を提供する企業の使命とは何だろうか。人間は生物であるが故に、栄養を摂取しなくてはならない。必要な栄養素の供給が使命であることは確かだ。
しかし、食うに困る世の中ではもはやない。飽食の世と言わないまでも、もはや貧困と飢餓の世の中を脱しているのは確かなことである故に、求められるのは「安全・安心な食生活」である。
食材や料理を提供する企業は、その産地云々や調理方法云々以前に、生活者が口にするものの安全を保証するのは最低限必要なことなのである。

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金森 努

有限会社金森マーケティング事務所 取締役

コンサルタントと講師業の二足のわらじを履く立場を活かし、「現場で起きていること」を見抜き、それをわかりやすい「フレームワーク」で読み解いていきます。このサイトでは、顧客者視点のマーケティングを軸足に、世の中の様々な事象を切り取りるコラムを執筆していきます。

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