「ぎっこんばったん化」する社会

2009.01.05

ライフ・ソーシャル

「ぎっこんばったん化」する社会

村山 昇
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

最近、世の中があっちへ大振れ、こっちへ大振れする 。歴史的にみても、社会がシーソー化するのは悪い予兆。2009年以降の新秩序には、一個一個の人間の意志的楽観主義が必要だと思います。

「ネット書き込み」というメディアは、
音もなく、一方的に、あっちへこっちへ、
人びとの感情(←やがて一部の世論にもなりうる)を振り回します。

とはいえ、
「私はネット書き込みを行き交う情報なんて信憑性が低くて信じない」という人が、
この記事を読んでいただいている中には多いと思います。
しかし、世の中には、
情報リテラシーが未熟なまま20代、30代を迎える人がどんどん増えていて、
「えっ、こんな情報にそそのかされちゃうの?」といったことが
ますます増えているのです。

◆ぎっこんばったんの要因
これら、世の中がぎっこんばったんと大振れする状態は、
もちろんよい状態ではありません。
(人によっては、「2・26事件」前の様相に似てきたとの指摘もあります)

私は、その大きな要因として、一個一個の人間が脆弱化していることを挙げます。
そして、それを危惧し、なんとかしたいと思いもします。

私は強い社会と弱い社会を2つのモデルで考えます。
強い社会は、一個一個の人間が「粘土粒」化している状態です。
弱い社会は、一個一個の人間が「砂粒」化した状態です。

粘土と水を容器に入れ、シーソーの中央に置き、ぎっこんばったんとやる。
(ここで「水」とは、世の中を行き交う情報のメタファーとお考えください)
粘土の固まりは保持力があり、そうは簡単に動かない。
水だけがあっちに行きこっちに行きしている。

次に砂と水を容器に入れ、同じようにシーソーでぎっこんばったんとやる。
砂は水と混じり合い、あっちにとっぷん、こっちにとっぷん、簡単に動く。

社会を構成する一個一個の人間が、「粘土粒」なのか、「砂粒」なのか、
これは重大な分かれ目になります。

◆しなやかな粘りを持ってきた日本人の民族特性
私が、「粘土粒」に込める要素はいろいろあります。
ひとつには、粘土の粘りとは「中庸をつくりだす力」です。
これは古来、日本人が得意としてきた力で、
さまざまなものを吸収し、最終的にそれらを融合させて包摂しようという力です。
日本人には、そうした思考・受容の粘りが民族DNAにはあるのです。

心理学者・河合隼雄先生の名著に『中空構造日本の深層』があります。
日本人の心理の器は、
「中空」=「中が空(くう)になっている」
との目の覚める分析です。

これは、「中が空(カラ)っぽになっている」と読んではいけません
空を「カラ」ではなく「くう」と読むことが決定的に重要なのですが、
つまり、
日本人の心理構造は、その中心に
母性があるのでもなく、父性があるのでもなく、
同時に、母性がありながら、父性もある特質をもってきた。

次のページただ「反応的・感情的」に振舞うだけで

続きは会員限定です。無料の読者会員に登録すると続きをお読みいただけます。

Ads by Google

この記事が気に入ったらいいね!しよう
INSIGHT NOW!の最新記事をお届けします

村山 昇

キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。

フォロー フォローして村山 昇の新着記事を受け取る

一歩先を行く最新ビジネス記事を受け取る

ログイン

この機能をご利用いただくにはログインが必要です。

ご登録いただいたメールアドレス、パスワードを入力してログインしてください。

パスワードをお忘れの方

フェイスブックのアカウントでもログインできます。

INSIGHT NOW!のご利用規約プライバシーポリシーーが適用されます。
INSIGHT NOW!が無断でタイムラインに投稿することはありません。