人の大きさ

2008.06.26

ライフ・ソーシャル

人の大きさ

猪熊 篤史

個人差のほとんどない人としての大きさ、バランスや密度について考えてみたい。

人の大きさは、一人一人それほど変らない。ここで言う「大きさ」とは身長やウェストのサイズのことではない。人の生命力、潜在的な能力、本能的な思考、あるいは、存在価値のことである。

自分を中心に半径10メートルの円を描く。例えば、それが自分の「人としての大きさ」である。電車で隣り合わせる人も、道行く人も、畑を耕す人も、高層ビルで働く人も、もしそんな形で人としての大きさを測ったら、ほとんど変らないだろう。ある人は半径9メートル99センチ、他のある人は10メートル2センチという具合に多少の違いはあるかも知れないが、平均は10メートルであり、10センチも20センチも違うものではないようである。

具体的に人の大きさが半径10メートルかどうかは別にして、そんな平面的な(あるいは、立体的な)広がりが人にはあるだろう。そして、そのような「人の大きさ」、平面的な広がりは、いくつかの支柱で支えられる。それらの支柱は対称的であることが望ましい。対称的でないとバランスが悪くて平面的な広がりを支えることが困難になる。強固な支柱で全体を片側から支えるのであれば、適度に柔軟な支柱で両側を支えるほうがバランスが良い。

この支柱の構造を決めるのは、先天的な要素もあるかも知れないが、基本的には「教育」、「訓練」、「心がけ」などである。これらが支柱のバランス、強度、柔軟性、支柱間の密度や構成を決める。特別な教育がなくても、最低限の教育を受けて、人として生活しているのであれば、一定以上のバランスや強度を持っていることだろう。

ほぼ変らない「人の大きさ」と一定以上の支柱のバランスや強度を持つ我々はそれぞれ、それほど変らない。

変るのは、支柱の構成であり、密度、支柱の強度や柔軟性である。そして、それらを構築したり、取り替えたり、補強したり、成長・進化させるのは、「教育」である。

一方で、偏った教育によって、バランスの悪い支柱の構造を作りあげてしまうこともある。

最先端の新素材で強固な支柱を構築したと誇らしげな人も、実は竹のような柔軟な支柱に及ばないかも知れない。

鉄で全体を厚く覆うよりは、適切な素材で、適切なバランスを実現する方が効果的であったりする。

個人差のほとんどない人としての価値をどう支えるかが問題である。

【V.スピリット No.52より】

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