日本人のノーベル賞連続受賞に沸く今こそ、日本の科学技術が抱える深刻な問題点と懸念を共有し、社会全体として次世代の「技術立国・日本」のための障害を取り除く努力をせねばならない。
特に大企業には、短期的な利益追求にとどまらず、将来の技術的土壌を育む「公益的投資」という意識を持ってほしい。基礎研究は今すぐ売上に結びつかないかもしれないが、社会全体のイノベーション力を支える最も重要な礎である。
さらに、最近は別の形で民間企業が科学技術力の低下を助長しかねない動きを見せている。すなわち、デジタルトランスフォーメーション(DX)の推進を目的として、理系人材の獲得競争を大学院やポスドク層にまで拡大している点である。研究職を志す若手に対して、「待遇の低く不安定なポスドクよりも、我が社のDX改革に貢献して安定した職を得たほうがよい」という誘いをかける企業が増えている。
確かに個別企業にとっては即戦力となる理系人材を確保できるという短期的メリットがある。しかし、国家全体の研究力という観点から見れば、これはきわめて危険な流れである。将来の科学技術を担うはずの人材が、基礎研究の世界から早期に流出し、企業内の業務改善に吸収されてしまうことは、日本全体の技術的蓄積の断絶を意味するからである。
もちろん、企業のDX推進そのものを否定するつもりはない。むしろ企業がデジタル技術を活用して生産性を高めることは、日本経済全体の競争力強化にとって欠かせない。
しかし、DXの中核を担う人材が必ずしも理系出身である必要はない点を、企業は冷静に理解すべきである。
DXの本質は技術導入そのものではなく、事業構造・業務プロセス・組織文化といった“人と仕組み”の変革である。それを成功させるには、経営や現場の実態を深く理解し、論理的かつ俯瞰的に改革を設計できる人材が求められる。そうした能力は文系出身者であっても十分に発揮できるものであり、むしろ人や組織の動きを理解できる人材こそがDXを進める上での要である。
企業は「理系=DX適性」という短絡的な発想を改め、より広い人材観を持つ必要がある。
科学技術の発展は一朝一夕には成し得ない。ノーベル賞を受賞した研究の多くが、十年、二十年という長い時間をかけた基礎的探究の積み重ねの結果であることを忘れてはならない。短期的な成果や効率を追うあまり、そのような地道な研究が育つ土壌を損ねることは、日本の将来にとって取り返しのつかない損失となる。
今後、日本が再び科学技術の強国として世界に存在感を示すためには、研究者が安心して挑戦できる環境を整備すること、そして産学官それぞれが長期的な視点でその支援に責任を持つことが不可欠である。
ノーベル賞の受賞は、過去の成果を称えるものであると同時に、未来への責任を問いかける出来事でもある。受賞の喜びに沸く今こそ、私たちは日本の科学技術の未来像を真剣に考えねばならない。
自由な探究が尊ばれ、多様な若者が再び「研究者になりたい」と思える社会を取り戻すことができるかどうか。それこそが、次のノーベル賞を生み出す土壌を維持できるかどうかの分水嶺である。
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パスファインダーズ株式会社 代表取締役 社長
「世界的戦略ファームのノウハウ」×「事業会社での事業開発実務」×「身銭での投資・起業経験」。 足掛け38年にわたりプライム上場企業を中心に300近いプロジェクトを主導。 ✅パスファインダーズ社は大企業・中堅企業向けの事業開発・事業戦略策定にフォーカスした戦略コンサルティング会社。AIとデータサイエンス技術によるDX化を支援する「ADXサービス」を展開中。https://www.pathfinders.co.jp/ ✅第二創業期の中小企業向けの経営戦略研究会『羅針盤倶楽部』を主宰。https://www.facebook.com/rashimbanclub/
