キリスト教の世界観

2020.10.21

開発秘話

キリスト教の世界観

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/よく西欧の歴史観は、天地創造から最後の審判まで直線的だ、などと言われるが、じつは、エデンの園に始まり、エデンの園に終わる、きれいな歴史の円環になっている。/

イエスと教会ですよ。ここから、教会は、ハルマゲドン後のイエスの花嫁とされ、キリスト教では、聖職者はもちろん信者に至るまで、将来のイエスと教会の結婚に備えて、徹底して処女性が求められることになり、ユダヤ教の律法にもなかったような厳しい性色嫌悪、エロフォビアが蔓延するんです。なんにしても、ここにおいて殉教者たちも復活し、このイエスと教会の新婚生活は、千年も続くことになります。

J ああ、それが「千年王国」ですね。これで復活できると信じて、やたら殉教したがる信者が出てきていたわけか。

でも、千年たったところで、悪魔もまた地の底から解き放たれ、地上に出てくる。ここで、神は、これまでに死んだ者、天国に行った者はもちろん、煉獄や地獄に墜ちた者も、とにかく全員を蘇らせ、その個人個人の所業に応じて裁く。これが、厳密な意味での最後の最後の審判です。こうして、悪人は、悪魔とともに火の池へ。一方、善人は、天から降り下る新しい天地の花嫁、新聖都イェルサレムへ。そして、そこでは、アダムとイヴがエデンの園で食べそこねた、もう一つの永遠の命の木の実ももらえる、とされます。

J あれ? また花嫁? あ、そうか、ハルマゲドン後ではとりあえず教会信者や殉教者はまとめて団体で地上の千年王国に救われたけれど、千年後にはもう一度、個人ごとの全員の再審があって、地上に創られた教会の千年王国とは別の、天上から降りてきたホンモノの神の国、エデンの園に戻れるかどうか選別し直されるということかな。

ええ、よく西欧の歴史観は、天地創造から最後の審判まで直線的だ、なんて雑に言われますけれど、中身をしっかりみると、じつは、エデンの園に始まり、エデンの園に終わる、きれいな歴史の円環になっているんですよ。


『悪魔は涙を流さない カトリックマフィアVSフリーメイソン: 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだ パーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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