キリスト教の世界観

2020.10.21

開発秘話

キリスト教の世界観

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/よく西欧の歴史観は、天地創造から最後の審判まで直線的だ、などと言われるが、じつは、エデンの園に始まり、エデンの園に終わる、きれいな歴史の円環になっている。/

J まあ、それなら、たしかに人間すべてが引き継いでいる罪かもしれませんね。ようするに、自分のパート譜しか知らないのに、オーケストラの指揮者のように振る舞う罪ですよね。でも、だったら、なんで人は原罪に落ちたんでしょう? 神さまの摂理の失敗?

この世に悪があることの神の正しさを弁明する神学分野を「神義論」、テオディシーと言います。エイレナイオスは、悪と思えるものもまた摂理全体では意味がある、としたのに対し、アウグスティヌスは、神は悪を創らず、ただ人間の自由意志濫用の罪に対する罰である、として、悪を説明します。

J だけどさ、自由意志を濫用するやつが悪なのに、なんでその罪も無い人がそんな悪人にひどい目に遭わされるわけ? それ、罰になってないですよ。

いや、それを言い出せば、それは、なんの罪も無い人が事故や病気、災害に遭うのか、という問題にもなります。旧約聖書には『ヨブ記』という神話があって、神がヨブの信心を褒めると、悪魔が、そりゃあんたがやつを良くしてやっているからだ、とからかって、試しにちょっとオレがやつの家族も財産も失わせ、病気にして苦しませてみるぜ、などという、むちゃくちゃな話。それでも、ヨブは、生まれたときは何も無かった、主は与え、主は奪う、それだけのことだ、として、信心を失わない。

ところが、その続きを別のだれかが書いたようで、さすがのヨブも試練をグチり始め、友人たちと議論になる。ヨブは自分の無実を訴えるが、友人たちは、いや、おまえ、ぜったいなにかやらかしたんだよ、とっとと思い出してさっさと神さまに謝っちまえよ、と責め立てる。これに対し、ヨブは、自分に覚えのないことまで罪だと言われてもたまらん、と反論。だが、友人たちは、以前に裕福だったのだって、それは貧しき人々の得るべきものを奪っていただけではないか、そういう罪の自覚がないのがまさに罪だ、などと言い出す。

すると、最後には神自身が登場。ヨブに対し、おまえ、おれがおまえを不幸にしたとでも言うのか、と絡む。ヨブは、めっそうもございません、と悔い改める。また、友人たちに対しても、ようもまあおまえらも知ったかぶりして、あれこれ語ってくれてたよなぁ、と怒るので、ヨブが、まあまあ、と執り成し、それで友人たちも許された。で、最後は、ヨブの財産は倍増、新しい家族もできて、140歳まで長生きした、とか。

J 変な話。

ここで注目すべきは、事故や病気、災害は、その個人に対する罰ではない、ということです。原罪は、もっと大きな、神の本来の摂理を離れてしまった、という、人類全体、世界全体が負っている問題。なんにしても、七日目に完成するはずだった世界の摂理は、悪魔のちょっかいだか、どこぞの人間の自由意志の濫用だか、善悪知の知ったかぶりだかで、ちぐはぐになって、あちこちがガタガタに。それで起きるのが、事故や病気、災害。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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