コミットメントが自分と世界を創る:現象学と実存主義

画像: photo AC: きい さん

2019.01.08

ライフ・ソーシャル

コミットメントが自分と世界を創る:現象学と実存主義

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/きみがきみを、きみが世界を、創る。きみがそれをすこしでも怠れば、きみも、世界も、すぐに消えてしまう。仕事でも、旅行でも、恋愛でも、家族でも、人生でも、自分でやらなければ、けっして自分のものにはならない。ほんとうに意味のある人生がほしいなら、自分が自分で自分の人生を生きよう。/

夫が悪い、妻が悪い。会社が悪い、社員が悪い。学校が悪い、学生が悪い。社会が悪い、本人が悪い。近ごろ、悪者探しだらけ。そういうやつに限って、ふんぞり返って、この世の外の神様か、お客様かを気取り、好き放題に批評批判。だが、自分がなにもしないで、結果が得られるわけがない。

買っただけ、持っているだけ、置いておくだけで、そのまま、それがそこにあるべくようにあって、いつでもアクセスできると思っているのを、フッサールの現象学では「自然的態度」と言う。つまり、物事は、自分とは無関係に、自律的に存続している、と思っている。

でも、それは、自分がそう信じているだけ。実際は、自分が関わらなければ、無いも同然。たとえば、本。買っただけで内容までわかれば、だれも苦労しない。積読では、いざ読もうと思っても、どこにあるかわからない。まして、彼氏彼女。ようやく手に入れても、その後、ほったらかしておけば、ほんとうに自然消滅。家でも、道具でも、人間関係でも、つねに手入れしていなければ、どうにもならなくなる。

いや、何もしていないわけじゃない。ちゃんとカネは払ってある、ときどき見てはいる、などというのも、大きな勘違い。そんなことは、コミットメントのうちに入らない。いったんそういう妄信的な自然的態度を停止して、これとかあれとか、実際に存在するとかしないとかを抜きに、たとえば、自分にとっての仕事(勉強、愛情)とは、を問うてみよう。これを現象学で「超越論的還元」と言う。

さらに、「形相的還元」として、さまざまな条件を自由に変更して想像してみる。あの会社だったら、給与がもっと高かったら、がんがん出世できたら、などなど。だが、こうやって条件を変更したら、かんたんに結果が変わってしまうようなら、じつは、それは、きみにとってのその本質ではない。逆に、どんなに条件を変えて想像してみても、変わらないものが残るなら、それこそが、その本質だ。どの会社でも、給与が高くても低くても、出世できてもできなくても、きみがやりたいこと、それがきみにとってのほんとうの仕事。

しかし、そうは言っても、現実の中では、そんな絶対不変の答えなんか、かんたんには見つからない。それどころか、ちょっとでも間違うと、なにもかも失敗するのではないかと不安でしかたない。それで、ヤスパースやハイデッガー、サルトルの言うように、人は世間に逃げ込む。そこでは、浅はかなウワサに漂い、口先だけのカラ話、人の醜聞を好奇心で追い、そのくせ、自分のこととなると、いま考え中、などと、曖昧なまま、白黒をつけずに先延ばし。だが、そうこうしている間に、世間のまなざしに追い詰められ、周囲が言うがままになって、いよいよ自分を失う。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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