中世暗黒時代:文明論的世界史の視点から

2018.07.10

開発秘話

中世暗黒時代:文明論的世界史の視点から

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/ヨーロッパ中世は、中央アジアの騎馬遊牧民の西進によってゲルマン人が西ローマ帝国に入り込み、帝国が放棄され、代わって教会が抑圧的神聖管理をしたことによってできた。しかし、9世紀になると、ゲルマン人の残り、北方に逃げたノルマン人がヴァイキングとして来襲。これらを十字軍として東方に追い払おうとしたが、かえって東方貿易で力を付け、ヨーロッパの主権を奪われることになる。/

1169年、中東内陸山地遊牧民クルド族出身の有能なエジプト・ファーティマ朝行政官サラディンが、スルタンとしてアイユーブ朝を創始。イスラムらしからぬオリエント的な絶対王権で十字軍植民地への反撃を始める。続いて13世紀になると、巨大なモンゴル帝国が西進し、かつての「フン族」と同様、現ポーランドにまで攻め込んでくる。一方、ヨーロッパでも、パリ周辺のみの小国となったフランス王国と巨大アンジュー帝国との関係が悪化し、フランス王ルイ9世は、アンジュー伯領を名目的に没収し、47年、自分の弟に「アンジュー伯」、46年に「プロヴァンス伯」、66年に「シチリア王」の肩書を与える。しかし、シチリアはスペインのアラゴン王が支配しており、彼はナポリを持つのみだった。


百年戦争とルネサンスの端緒

1291年、ヨーロッパは東方の地を完全に失った。これを機にフランス王フィリップ四世は、旧ノルマン系の商業路奪取を図る。まず1303年、フランス王はローマ郊外アナーニ村で教皇を襲撃。1307年には、商業路を握る聖堂騎士団員を逮捕処刑。08年、教皇庁を強引にトゥールーズ伯国内のアヴィニョンに遷す。14年、次いでシャンパーニュ伯から王になったルイ10世は、むしろ重税で同地の年市をダメにしてしまう。しかし、フランス建国以来のカペー朝も、23年に断絶。これをヴァロワ伯が継いだが、本アンジュー伯家(イングランド王)も継承権を主張。かくして、1337年、百年戦争となる。これは、実質的には、旧ゲルマン系と、十字軍で伸張した旧ノルマン系の対立にほかならない。


百年戦争と前後して、帰還した十字軍兵士や略奪した東方物資から、さまざまな疫病が広まった。イスラムは、もともと南方の広域で交流貿易しており、疫病の危険が高かったが、コーランの教えに従って一日5回の礼拝の都度、手足を洗い、ウガイをすることで、これを抑え込んできた。一方、ヨーロッパは、衛生観念が無く、糞尿を道に投げ捨て、死体を街の広場に土葬して、その上で市を開くようなありさま。これで疫病が広まらないわけがない。とくに1347年には、中国やイスラムでも甚大な被害をもたらしたペストがシチリアに上陸。数年にわたってヨーロッパ中で猛威を振るい、人口が半減するほどの被害となった。人々は、歌や絵に「死の舞踏」を採り上げ、教会に対する絶望感を募らせた。

ヴァロワ家フランス王ジャン二世は、ナポリに新アンジュー伯家があるにもかかわらず、56年、次男にも第三の「アンジュー伯」の肩書を与える。また、63年、末子フィリップに、断絶したブルゴーニュ公を継がせ、これが69年にフランドル女伯と結婚、かつて下ロレーヌ公が十字軍で築いた商業路へ支配を拡げて繁栄していく。この関係で、ブルゴーニュ公国は、ヴァロワ家系であるにもかかわらず、もうひとつの商業路を握る本アンジュー伯プランタジネット家(イングランド王)と結び、フランス王家を東西から挟み込んで圧迫。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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