中世暗黒時代:文明論的世界史の視点から

2018.07.10

開発秘話

中世暗黒時代:文明論的世界史の視点から

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/ヨーロッパ中世は、中央アジアの騎馬遊牧民の西進によってゲルマン人が西ローマ帝国に入り込み、帝国が放棄され、代わって教会が抑圧的神聖管理をしたことによってできた。しかし、9世紀になると、ゲルマン人の残り、北方に逃げたノルマン人がヴァイキングとして来襲。これらを十字軍として東方に追い払おうとしたが、かえって東方貿易で力を付け、ヨーロッパの主権を奪われることになる。/

だが、1038年、その騎馬遊牧民のセルジューク族が、スルタン(権威者)として、みずから中東に国を建てて勢力を拡大し、東ローマ帝国に迫る。1095年、皇帝は、ローマ教皇に傭兵支援を要請。このころ、ヨーロッパは、食糧事情の向上で人口が当初の1.5倍にも膨れあがっており、くわえて、北方から襲来したノルマン人のために、分け与えるべき領地も無く、もはやパンク寸前だった。教皇が十字軍によるイェルサレム奪還を呼びかけると、翌春、民衆十万人が暴徒となって小アジアになだれ込み、あえなく撃退される。

96年夏、正規の第一回十字軍として、トゥールーズ(南仏)伯レーモン(簒奪)、下ロレーヌ(現フランドル)公ゴドフロワ(皇帝派)、カラブリア(南半イタリア)公太子(ノルマン人)ボエモンという訳ありの三人を中心に、諸侯がばらばらに出発。コンスタンティノープル市に集合の後、民衆十字軍残党を取り込み、97年春に進撃。イスラム側は、部族対立に加え、各部族内でも共同体の意思統一が難しく、初動に遅れる。97年秋から翌春にかけてアンティオキア攻略、99年夏、ついにイェルサレムを奪取。ここに下ロレーヌ公ゴドフロワを中心に植民地イェルサレム王国を建て、ヴェネツィア、ジェノヴァ、ピサと東方貿易を始める。

これによって、ヨーロッパに商業の復活が起きる。もともとヨーロッパの中心、シャンパーニュ地方の諸都市は定期的な年市で賑わっていたが、これとは別にヨーロッパを縦断するいくつかの商業路ができる。一つは、トゥールーズからボルドーへ抜け、海路イングランドへ。もう一つは、フィレンツェ、ミラノ、そしてゴッダルト峠を越えて、チューリッヒ、ブルゴーニュ、フランドルへ。

じつは、これらはいずれも旧ノルマン人の勢力圏であり、十字軍で東方植民地を得たトゥールーズ公や下ロレーヌ(フランドル)公の領地にほかならない。くわえて1129年、聖堂騎士団のアンジュー伯フルク五世が下ロレーヌ公系の娘と結婚してイェルサレム王となり、同年、その息子ジョフロワ四世がノルマン朝イングランド王の娘と結婚、アンジューの北のノルマンディー公領も手に入れる。孫のヘンリー二世は、1152年、南のアキテーヌ女公と結婚して、同地も合併。その隣は友邦トゥールーズ。さらに、54年にはイングランド王位を継承して、プランタジネット朝を開く。かくして、南仏からイングランドまで連なる「アンジュー帝国」ができあがる。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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