個性[2]~人はそれぞれに違っているからおもしろい 

画像: Yasushi Sakaishi @ Lanta Design

2017.08.20

ライフ・ソーシャル

個性[2]~人はそれぞれに違っているからおもしろい 

村山 昇
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

14歳から大人まで 生きることの根っこをかんがえる『ふだんの哲学』シリーズ 〈第1章|自己〉第2話


〈じっと考えてみよう〉

8人乗りの船に、8人が乗り込もうとしている。
左のA・B・Cのうち、もっとも安全な人の配置はどれか?




わたしたちは一人一人、性格もちがうし、容姿もちがう。才能もちがう。そして考え方もちがう。つまり、みなそれぞれに個性を持っています。

ところがわたしたちは、学校や社会で生きていくなかで、人とちがっていることを恥ずかしく思ったり、不安に感じたりします。

たとえば、「まわりと比べて、自分は落ち着きがない」「みんなより背が低い」「ほかの人が持っている物を自分は持っていない(買ってもらえない)」「クラスの会議で自分一人だけ別の意見を言ってしまった」……など。

また同時に、わたしたちはなにか人とちがったことをする人間に対して、「目立ちたがりだ」とか「自分本位だ」「調和をみだすやつだ」とか言って、遠ざけたり、批難したりします。おおぜいで「出る杭(くい)を打ってしまおう」とするわけです。

いろいろな種類のものが広がっていることを「多様性がある」といいます。そしてそれを受け入れる度合いを「多様性への許容度」といいます。

日本は多様性への許容度が低い国で、ほかとちがっていることを避けたがる傾向が強いといわれます。その理由の一つは、日本は古来、単一民族の農耕社会であり、群れのなかで周囲と同じように生きていくことがよいとされてきたからです。ところが一方、アメリカ合衆国のような他民族的で移住型の社会はまったく逆です。多様性への許容度が高く、人とちがうことはおいにけっこう、個性を強く押し出すことでまわりの人から認めてもらおうといった傾向が強くなります。

みなが、人と同じようにふるまい、人と同じように考える。人とちがっていることをこわがったり攻撃したりする。そうなると個性の多様性が失われます。多様性が失われるとは、種類が減って、どこかに偏(かたよ)ることです。こうした偏りが出ることは、じつは個人にとっても社会にとってもよくない面があります。


そのよくない面とはどんなことでしょう?

たとえば、血液型を考えてみましょう。人間の血液型にA、B、O、ABと4種類あることはよく知られています。これはABO式と呼ばれる分類法によるものです。血液はほかにもRh式やMNSS式などさまざまな分類法で型に分けられます。その掛け合わせで考えると、この世の中でまったく同じ血液型を持つ人は、一卵性双生児以外に存在しないと言われるほどです。

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村山 昇

キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ、管理職研修、キャリア開発研修、思考技術研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。

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