男色武士道:天下泰平の新キャリア

画像: 人倫訓家図彙から

2016.06.23

ライフ・ソーシャル

男色武士道:天下泰平の新キャリア

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/男色は戦国時代以上に江戸初期に爆発的に流行した。武功で出世する道は途絶え、その一方、体制整理で大量の無頼浪人や無役の下級武士が溢れていた。ここにおいては、美少年のうちから将軍や藩主の寵愛を受け、大役に抜擢されるしか、「武士」として生き残り、昇進出世する方法がなくなってしまったからだ。/



 男色でも、女色でも、どちらにせよ色恋沙汰が職場に持ち込まれると、人事を捻じ曲げる。それでよけい、その捻じ曲がった色恋沙汰での出世の道を求める者が増える。さいわい幕府や藩で抜擢された小姓の多くは、主君の見立てどおり有能な人材が多く、その後に実際に実効を挙げたが、その周辺には、そうではなかった者も、はるかに数多くいたことだろう。挙句には、その職場での色恋沙汰が刃傷沙汰ともなり、あちこちで一族を挙げての大規模なトラブルに発展してしまっている。



 『孟子』によれば、「君に大過あれば、すなわち諫め、これを反覆して聴かざれば、すなわち去る」とされている。しかし、いくら『孟子』を重んじる朱子学が官学とはいえ、ただでさえ浪人や無役だらけの天下泰平の時代に、君主の色恋沙汰の人事歪曲を諫めたり、それで聞き入れられないからといって去ったりする腹の座った武士など、まずいなかった。



 世に「天下の御意見番」と名高い古参の旗本、大久保の「じい」こと、忠教(彦左衛門、1560~1639)でさえ、1614年の長安事件に連座させられたこともあり、その後の小姓上がりたちの専横跋扈を苦々しく思いながらも、晩年に記した『三河物語』では、将軍の御機嫌取りの「犬」と卑屈に自嘲し、右でも左でも付き従い、どんな御役目でも喜んでやらしていただく、ともかくも、それが譜代の生き残る道、と説く。



 古参旧家の老中、酒井雅楽頭(うたのかみ)忠勝に至ってはもっとあわれで、家光が夜更けになって、小姓上がりたちの屋敷にこっそりと行こうとするものだから、それをまたこっそりと警護のためについていき、明け方まで屋敷の外の寒空の下で家光の草履を懐で温め、出てくるのを待つ、というような仕儀。これは、官房長官が総理の愛人との密会の世話面倒をみているようなものか。どう考えても、まともな役目、それも老中ほどの人物のする仕事ではあるまい。ただ、家光も、後に反省して、小姓上がりたちの方を奥に招くことにしたとか。これが反省になるところがなんとも。



 とまあ、朱子学とは名ばかり。そもそも主君と官僚と庶民からなる整合的な朱子学の政治体系に、武士だ、徳川だ、まして小姓だ、などという正体不明の輩の立つ位置もなく、早くも将軍位を親王に返上しようという動きが出てくる。おまけに、奇妙な抜擢人事の横行で、外様はもちろん譜代も疲弊し、世は商人の時代。山鹿素行(1622~85)は、武士の存在意義を、もっぱらに人倫の手本となることに求めたが、当時の将軍や小姓上がりたちが実際にやっていることからすれば、あまりに現実と乖離。ここから、人倫の手本となるに、なにも武士であるまでもあるまい、と、朱子学をそのままに、みずから率先して身を正す石田梅岩(1685~1744)のような町人思想も登場する。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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