タコ焼きのルーツを探る

2013.05.07

ライフ・ソーシャル

タコ焼きのルーツを探る

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/タコ焼きの秘密は、あの多壺鍋。十三世紀のタイで作られ、オランダやフランスに渡って鉄板になった。そして、1900年ごろの神戸で、それで作っていたエスカルゴのベニエ(小麦衣焼き)の具がタコに変わったらしい。/

 さて、明治維新。日本にも大勢の外国人たちがやってくる。1900年ころになると、神戸にはオランダ人やフランス人が大勢いた。連中が例の多壺の鍋や鉄板で作ったのが、エスカルゴのベニエ。じつは、エスカルゴ料理では、殻の中に旨味のある汁を留めるブルゴーニュ風の香草バター焼きだけでなく、その旨味のある汁を小麦の衣に吸わせる、ポッフェルチェに似たベニエ(衣焼き)にするのも一般的な調理方法。しかし、日本ではエスカルゴが手に入らず、連中は地元名産のタコを使っていた可能性が高い。英国人はタコを「悪魔魚」などと言って忌み嫌うが、イタリアやギリシア、南フランスなどの地中海沿岸諸国では、タコはよく好まれる一般的な食材のひとつ。そもそも、タコにも背に巻殻がついたやつがいるくらいで、もともとエスカルゴとは同類。だから、両者の味が似ていて当然。

 つまり、タコ焼きのタコは、本来はエスカルゴ。そのベニエの代用の具として、タコが選ばれた。青ノリやマヨネーズをかけるのは、もともとの香草バター焼きの名残か。第一次世界大戦中の1918年、なんらかの事情で在留外国人から例の多壺鉄板を譲り受けた関西の露天商の金城組(現・三島屋)が、オランダ風のポッフェルチェを「ベビーカステラ(鈴カステラ)」として日本で最初に売り出している。そして、翌1919年、明石の向井清太郎が、エスカルゴまがいのタコが入った「玉子焼き」を始めた。昭和に入ってからの大阪の「ラジオ焼き」なんかより、はるかに古い。ちなみに、日本で最初に日本人にエスカルゴを出したのは、まさに神戸の「エスカルゴ」というフランス料理のレストラン。ただし、それも、1953年、つまり、戦後になってからのことだ。そして、タコ焼きは、近年、日本食ブームとともにアジアに再輸出。タイではあまりタコを食べないので、カニカマが入っているとか。

by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士 (大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。

オフィシャルサイト http://www.hi-ho.ne.jp/sumioka-info/

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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