ゲロとしての文体論

2012.12.12

仕事術

ゲロとしての文体論

坂口 孝則
未来調達研究所株式会社 取締役

文章は自らの気持ちとは異なり、ひたすら型にはまることこそが重要である。

昨日は午後からある勉強会で話し(といいますかインタビューを受け)、そのあと食事。さらに、ちょっといろいろと話すことがあったので、場所を居酒屋に移す。

そこの店員が融通が利かない。驚くべきほどだ。「注文いいですか」「ちょっと待ってください」「あの、もうそろそろ注文いいですか」「あ、はい。えっと。あ、伝票もってきます」「さっきも同じこといったろ」。いや、きっと融通が利かないのではなく、無能なだけだろう。

たったの一つか二つの注文であるからして、記憶すればいいものを必ず伝票を取りにゆき、しかも多くの場合は伝票を取りに行ったことも忘れて、違うお客のところへゆく。しかし、面白いことに、店全体の雰囲気は悪くない。他の店員は、その無能な店員を励まし、なんだか和やかな感すらある。

まあ、考えるに、その店員の無能さも許せないほどではない。微笑ましい馬鹿がいた、と思えば良いではないか。それに、その馬鹿のおかげで、他の店員の結束力が増しているといえなくもない。

現状のささいなネタから人生訓を読み解く。わあ、これはなんだか新聞記者が書く、陳腐な文章のようではないか。一度やってみよう。

<先日、飲食店で食事をした。そこで店員に注文しようとするのだが、フロアにいた店員(彼女)は多忙ゆえか私の声がなかなか届かない。ときには、私に注文を訊きに来ることを失念さえしている。厨房から他の店員がお詫びとともに私の元に駆けつけ、彼女の代わりに私の注文を訊いてくれた。

私は彼女(店員)に失望したのだろうか。いや、その逆だった。私の前に広がっていた光景は、他の店員から激励され、そして仕事を教え込まれては必死にそれを覚えようとする彼女のひたむきな姿だった。私は、一人の客としては不満をもっていたところ、その彼女がいるがゆえに、店の店員たちは一つにまとまっていた。その一体感が私を感動させた。

いつから私たちは「格差社会」の名のもとで、新人や至らぬものたちを排除しようとしてきたのだろうか。強者たちは弱者を切り捨てることにいささかの逡巡もない。まるで、強者だけで世界が成立するとでもいうように。

個人というものをあまりに平等化した考えが戦後民主主義の悪弊とするならば、私たちは個人の能力をあまりに重視しすぎる能力重視主義の悪弊にとらわれているようだ。私たちは、至らぬものたちや、能力取得途上のものたちが、逆説的に集団に一体感を与え、紐帯を強固にすることもあるという事実を忘れてはならない。そして、途上のものたちを認める態度は、他者への愛に支えられる。

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坂口 孝則

未来調達研究所株式会社 取締役

大阪大学卒業後、電機メーカー、自動車メーカーで調達・購買業務に従事。未来調達研究所株式会社取締役。コスト削減のコンサルタント。『牛丼一杯の儲けは9円』(幻冬舎新書)など著書22作。

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