『愛があれば大丈夫』はクラシックだった~広瀬香美さん~後編1

2010.01.13

ライフ・ソーシャル

『愛があれば大丈夫』はクラシックだった~広瀬香美さん~後編1

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広瀬さんといえば、軽快な曲を伸びやかに歌い上げるハイトーンボイスを連想する人も多いだろう。実は広瀬さんは5歳から音楽の英才教育を受け、国立音楽大学卒業というクラシック畑の出身。その彼女が、ポップス歌手として活躍するに至った事情とは……? [嶋田淑之,Business Media 誠]

 そんな日々に、後に彼女の代表曲のひとつとなる、ある曲が書かれる。「井尻の交差点で、『ああ学校に行きたくないなぁ……』って思っていたときに浮かんだのが、(後にファーストシングルとなる)『愛があれば大丈夫』なんですよ。このときは、ヴァイオリンとピアノのための曲として書いたんですけどね。今でも、私の一番好きな曲なんです。“こりゃ、いいメロディだなあ”って思います(笑)」

 広瀬さんの作品は、ポップスとしてどんなに魅力的でも、クラシックの伝統に立脚し、武満徹氏を初めとする当時の前衛作曲家たちの技法を講じる教育者の目から見れば、いささか異質であったに違いない。しかしこの時期に、苦しい思いをしながらも作曲技法の修錬を積んだことが、後のミリオンヒットアーチストとしての広瀬さんのベースを構築した。

 「私が今あるのは、ほんとうに、この時期にクラシック音楽の作曲を勉強したからだと思います。それは間違いありません」

 広瀬さんは、東京の国立音楽大学の作曲科に合格し上京。やがて人生の転機を迎える。

アメリカのポップス、そして西海岸のライフスタイルに感動

 「大学1年のとき、ペンデレツキ風の作品を作ってくるように言われて『自分にはまったく合わない、そんなの書けない』って思ったんです。今までやってきた何もかもが、一挙に崩れ落ちてゆくのを感じました」

 クシシュトフ・ペンデレツキ(1933~)は、1950年代末以降、世界のクラシック音楽界で大きな影響力を持った、ポーランドを代表する前衛作曲家である。音の塊で表現する「トーンクラスター」や、在来楽器の特殊奏法、様々な発音体の使用、人声の新しい使用法の開発などで知られ、代表作に「広島の犠牲者に捧げる哀歌」「ルカ受難曲」や、歌劇「ルダンの悪魔」などがある。

 筆者も高校時代に「ルカ受難曲」を聴き、想像を超えた表現方法に大きな衝撃を受けたが、ポップス志向の、そしてメロディメーカーとしての広瀬さんが大きな違和感を覚えたのは無理からぬことだと思う。

 そんな広瀬香美さんに、ある転機が訪れる。

 「初めてロサンゼルスに行ったんですね。そこで、マイケル・ジャクソンやマドンナの音楽に触れて圧倒されたんです。特にマイケル! なんていいメロディなんだろう、そして、なんていい声、なんてうまいダンス!――その時決意したんです。自分の書いた曲をマイケルに歌ってもらおう、と」

 西海岸特有の気候や人情も、広瀬さんには魅力的だったようだ。「カラッとした気候、陽気でポジティブな人たち。私はロスのライフスタイルにすっかり魅了されました。暗かった中学時代の日々とあまりに対照的だったこともあって、余計にそう感じたのかもしれません」

 以降3年間、広瀬さんは、1回あたり2~3カ月を基本に、幾度となくロスに滞在し、マイケル・ジャクソンに自分の曲を歌ってもらうための努力を重ねることになる。

~『愛があれば大丈夫』はクラシックだった~広瀬香美さん~後編2~に続く

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