2026.10.06
「正しい数字」が、社会を間違わせるとき ――EVが映し出す、部分最適国家の危うさ
齋藤 秀樹
株式会社アクションラーニングソリューションズ 代表取締役 一般社団法人日本チームビルディング協会 代表理事
「ゼロエミッション車」という言葉を聞けば、多くの人は「CO₂を出さない、環境に優しい車」を思い浮かべるのではないだろうか。 だが、電気自動車、いわゆるBEVがゼロにしているのは、厳密には車両の排気管から出る走行時のCO₂である。 電気そのものが無から生まれるわけではない。火力発電であれば発電所でCO₂が排出される。発電した電気を送れば送配電損失があり、充電にも損失がある。さらに、EVに搭載される大容量バッテリーを製造するためには、リチウム、ニッケル、黒鉛、銅などの資源を採掘し、精錬し、輸送しなければならない。車両が寿命を迎えれば、電池の回収、輸送、解体、再利用、再資源化、最終処分も必要になる。
環境政策、産業政策、国家間競争、企業利益、エネルギー安全保障が重なったとき、その政策は誰にとっての最適解になるのか
である。
地球全体の最適。
国の最適。
産業の最適。
企業の最適。
消費者の最適。
これらは必ずしも一致しない。
にもかかわらず、一つの政策を「地球のため」という大きな言葉で包めば、その内部に存在する異なる利害は見えにくくなる。
ここでも、全体を見る視点が必要になる。
部分最適は、善意からでも生まれる
部分最適の怖さは、必ずしも悪意から始まるわけではないことである。
地球環境を守りたい。
人々を健康にしたい。
子どもたちを教育したい。
企業を成長させたい。
安全な社会を作りたい。
始まりは善意かもしれない。
しかし、目的そのものは測定しにくい。
「豊かな人生」を数字にすることは難しい。
「良い教育」を一つの数値で測ることも難しい。
「良い環境」も一つの数字では表せない。
そこで代理指標が置かれる。
環境ならCO₂。
教育なら偏差値。
企業なら利益。
行政ならKPI。
医療なら検査値。
本来、それらは目的へ近づいているか確認するための「ものさし」であったはずである。
ところが、いつの間にか、
ものさしの数字を改善することそのものが目的になる。
そこから歪みが始まる。
「正しい情報」が社会を間違わせる
フェイクニュースを疑う人は増えた。
しかし私は、もっと難しい問題があると思う。
それは、
一つ一つは正しい情報なのに、それらを組み合わせた全体像が間違っている
という問題である。
BEVは排気管からCO₂を排出しない。
正しい。
多くの地域ではライフサイクルCO₂もガソリン車より小さい。
これも正しい。
リサイクル技術も存在する。
これも正しい。
しかし、これら三つの事実を並べて、
「したがってBEVへ一本化することが社会全体の最適解である」
とするなら、そこにはまだ検証されていない大きな空白がある。
社会全体の資源配分はどうか。
発電能力はどうか。
送電網はどうか。
地域差はどうか。
車両用途はどうか。
電池寿命後の社会コストはどうか。
鉱物資源はどうか。
既存車を長期間使う場合との比較はどうか。
同じ公的資金を別の環境対策に使った場合との比較はどうか。
それらを見なければ、「全体最適」とは呼べない。
現代社会に欠けているのは「全体を見る者」ではないか
現代社会には、高度な専門家が驚くほど多く存在する。
気候科学者。
電池技術者。
電力の専門家。
資源の専門家。
金融の専門家。
政策の専門家。
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株式会社アクションラーニングソリューションズ 代表取締役 一般社団法人日本チームビルディング協会 代表理事
富士通、SIベンダー等において人事・人材開発部門の担当および人材開発部門責任者、事業会社の経営企画部門、KPMGコンサルティングの人事コンサルタントを経て、人材/組織開発コンサルタント。
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