「交流は善」「孤独は悪」なのか?

2026.03.23

ライフ・ソーシャル

「交流は善」「孤独は悪」なのか?

川口 雅裕
NPO法人・老いの工学研究所 理事長

つらい交流と楽しい交流の違い。つらい孤独と楽しい孤独の違いは?

健康寿命を延ばすには、運動や栄養に加えて「交流」が重要とされています。高齢期の健康に交流の有無が大きな影響を与えると指摘している研究論文は数えきれないほどありますし、多くの高齢者から「私の健康の秘訣(ひけつ)は友達としゃべること」などといった交流の重要性を実感しているような声もよく聞きます。高齢期の研究者である筆者もいろいろな場面を通じて、このことを述べていますし、書いてもいます。
 しかし、ヤフーニュースのようなコメントが付くネットメディアでそのような主張をすると、必ずと言ってよいほど、「私は1人がいい」「年をとって人との関わりは持ちたくない」「高齢になって面倒な人付き合いはまっぴらごめん」「孤独が一番」といった、交流に対してネガティブな書き込みばかりが目立ちます。「交流が重要」に賛同してくれるコメントは、常にごく少数です。
 コメントを見ると、「交流」という言葉が“重たい関わり”を想像させてしまっているからではないかと感じます。確かに、気は進まないが断れない集まり。よく知らない人たちとの長時間の会合。気を使う食事会。上下関係や利害関係に配慮せざるを得ない集まり。そうした“濃い人付き合い”が連想されると、「1人がいい」と言いたくなるのも分かります。

しかし、多くの論文が高齢期の健康に効果ありと指摘している「交流」は、そのような重いものばかりではありません。深い関係というより、細く緩やかにつながっている状態。名前は知らないけど、お互い顔見知りで、あいさつや立ち話を交わすくらいの軽い関係も交流に含まれます。
 さらに、会話をするわけではないけれど、近くに人がいる環境で暮らすだけで健康効果があることも分かっています。例えば、自分の家ではなく、図書館や店など、人が行き交う公共空間で、1人で本や新聞を読んでいる人を見かけますが、それも一種の交流と言うことができます。
 そもそも、高齢期にはそんなに重たく濃い交流の機会は徐々になくなっていきます。定年退職などで仕事や職場での人間関係や、顔を出さねばならない会合、気乗りしない役割などはどんどん減っていくからです。わざわざ「1人でいたい」などと言わなくても、1人になれます。それが高齢期というものです。

●つらい交流と楽しい交流
 一方で、「交流は善」「孤独は悪」といった画一的な捉え方は戒める必要があります。「1人がいい」と語る人たちの多くも、「つらい交流」を避けたいだけで、楽しい交流まで嫌っているわけではないでしょうし、交流好きであっても、どんな交流でもいつでも楽しめるという人はいないでしょう。
 では、つらい交流と楽しい交流は、何が違うのでしょうか。
 1つは、自分で選んだものかどうか。もう1つは、周囲にいる人たちとの相互理解があるかどうかです。この2つがそろったときは「楽しい交流」が実現するでしょう。もちろん、知り合いが1人もいない会合に、単に巻き込まれて参加したら思いのほか楽しかったというようなことはあります。
 しかし、基本的には、顔見知りがいて安心で、かつそこで会話されたり取り組んだりする内容がイメージできて、「行きたい」と思って参加した場合に、楽しい交流が生まれるものだと思います。

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川口 雅裕

NPO法人・老いの工学研究所 理事長

高齢期の心身の健康や幸福感に関する研究者。暮らす環境や生活スタイルに焦点を当て、単なる体の健康だけでなく、暮らし全体、人生全体という広い視野から、ポジティブになれるたくさんのエビデンスとともに、高齢者にエールを送る講演を行っています。

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