ほんとうにあったビーチフラッグス:1889年のランドラン

2023.07.27

開発秘話

ほんとうにあったビーチフラッグス:1889年のランドラン

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/正午。銃砲の号音とともに、彼らはいっせいに走り出す。とにかく番号が書かれた旗を見つければいいのだ。そして、それを抜いて自分の旗を突き刺し、所有を宣言。混乱と怒号。しかし、争っているヒマがあったら、前へ進んだ方がいい。その先にはまだいくらでも土地はあるのだから。走ったやつが勝つ。これこそが、アメリカンドリーム。/

1889年4月22日、ランドランのスタートラインに5万人が集まった。そこには、金ぴか時代(急激な巨大資本主義化)に乗り遅れた東海岸・西海岸の人々、植民地化されていくアジアから来て鉄道建設のために働いていた人々、はるばるヨーロッパから命がけで渡ってきた人々、そして、南部から解放されて新たに自由を得た多くの黒人家族がいた。

正午。銃砲の号音とともに、彼らはいっせいに馬で、馬車で、徒歩で、中には自転車で、走り出す。なにが有利かわからない。とにかく番号が書かれた旗を見つければいいのだ。そして、それを抜いて自分の旗を突き刺し、所有を宣言。混乱と怒号。しかし、争っているヒマがあったら、前へ進んだ方がいい。その先にはまだいくらでも土地はあるのだから。とはいえ、その日の日没までに、すべての区分地が最後まで努力した人々に割り当てられた。

このような大規模なランドランは、その後も中間部の空白各地で行われた。おまけに、その後、オクラホマでは石油が見つかり、多くの開拓民が大富豪になった。人種も身分も関係ない。走ったやつが勝つ。これこそが、アメリカンドリーム。

Ads by Google

この記事が気に入ったらいいね!しよう
INSIGHT NOW!の最新記事をお届けします

純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

フォロー フォローして純丘曜彰 教授博士の新着記事を受け取る

一歩先を行く最新ビジネス記事を受け取る

ログイン

この機能をご利用いただくにはログインが必要です。

ご登録いただいたメールアドレス、パスワードを入力してログインしてください。

パスワードをお忘れの方

フェイスブックのアカウントでもログインできます。

INSIGHT NOW!のご利用規約プライバシーポリシーーが適用されます。
INSIGHT NOW!が無断でタイムラインに投稿することはありません。