「人」ではなく「仕事」に値段をつける(【連載8】新しい『日本的人事論』)

画像: Toshihiro Matsui

2018.05.29

組織・人材

「人」ではなく「仕事」に値段をつける(【連載8】新しい『日本的人事論』)

川口 雅裕
NPO法人・老いの工学研究所 理事長

組織・人事に関わる全ての施策は、日本人の特性や自社の独自性への洞察なしには機能しない。それは、OSが違えば、アプリが動作しないのと同じである。欧米の真似でもない、うまくいっている会社の真似でもない、日本企業において本当に機能する組織・人事の考え方や施策について思索・指南する連載。

行ったら必ず一定量を分けてもらえるのだから、獲得する術を磨く必要はない。よりたくさんもらおうとするより、皆とのバランスを重視し、突出せず、行儀良くしていることで得られる安定を選ぶ。つまり日本型の評価制度は、学ぶ姿勢を劣化させてしまう原因にもなっている。強みがなくても、磨き続けなくても、安定してもらえる環境に身を置けばたいていの人は学ぶことをやめてしまう。

日本の会社は、「行ったら必ず一定量を分ける」仕組みを持っている一方で、個別性には配慮しない。ちょっとだけ欲しいとか、2日に1回来るとか、家に届けて欲しいといった要望には応えようとしない。毎日来る人たちに対して、同じ量を与えることしか想定しておらず、顧客の要望に応じてカスタマイズするような姿勢は持っていない。こうなると、フルタイムの無限定正社員しか働けない。フルタイムで無限定に働く人が正社員のあるべき姿であり、「評価基準」「等級基準」とはその姿を描き出したものであり、そのような働き方ができない人は「例外扱い」となって、通常の評価の対象外である。これでは、多様性が実現できないのは当然だ。つまり、「評価制度」はダイバーシティに逆行しているし、ダイバーシティ実現への障害となっているのである。

「同一労働同一賃金」という世界の原則が実現できないのも、そうだ。同じ仕事なら、同じ給与が支払われるというのは、誰が考えても当然である。しかし、先述したように日本では「人に値段がついている」から、その人がやれば「どんな労働をしても同一賃金」になってしまう。あるいは、「同一労働なのに、誰がやるかで違う賃金」になってしまう。「仕事に値段がついている」から「同一労働同一賃金」になる。「同一労働同一賃金」は、現在のところ正規・非正規の格差解消という矮小化された議論になってしまっているが、このように本来の意味に戻れば、「人に値段がついている」以上は実現不可能なのであり、その原因は評価制度にある。

日本の評価制度は従業員に安定を提供してはいるが、以上のように多くの弊害がある。これらが絡み合って、生産性が低いという現実を生んでいる可能性もあるだろう。評価制度は、すぐにでも捨て去るべきだ。そして、人に値段をつける仕組みから、仕事に値段をつける仕組み、日本型の「ジョブ・プライス制度」への転換を進めなければならない。次回は、その中身について考えていきたい。

【つづく】
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川口 雅裕

NPO法人・老いの工学研究所 理事長

「高齢社会、高齢期のライフスタイル」と「組織人事関連(組織開発・人材育成・人事マネジメント・働き方改革など」)をテーマとした講演を行っています。

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