世界No.1のシェアを誇るブリヂストンで14万人を率いたリーダーが語るリーダー論のタイトルは「優れたリーダーは みな小心者である。」(ダイヤモンド社)であった。 リーダーと小心者という、通常は並んで語られることのないこの2つのキーワード。スポーツマネジメントを学び自ら経営者の経験もあるゴルフ解説者のタケ小山が、(株)ブリヂストン 元CEO・荒川詔四氏のリーダーシップマインドの真髄に迫る。
美術部からタイヤ会社へ
物静かで穏やかな笑顔を浮かべながらスタジオに現れた荒川氏。開口一番タケ小山はこう聞かずにはいられなかった。
「荒川さんって本当に小心者なんですか?」
そんな質問にもニッコリと「はい。そうですよ」と答えながら、話は学生時代にさかのぼる。
「もともと引っ込み思案で人づきあいも得意じゃなかったんです。大学では美術部で、油絵を描くのが好きなおとなしい学生だったんです」
就職先にブリヂストンタイヤ(当時。のちのブリヂストン)を選んだのは、「ブリヂストン美術館」を持っているような会社だからきっと文化的な会社に違いないと思ったからだという。
ところが入社してみてびっくり!文化的な繊細さは感じられず、どちらかと言えば荒々しい雰囲気の職場だった。
不安でいっぱいの社会人スタートとなったのだ。
そして、2年目にタイの工場への赴任辞令が出た。
「右も左もわからないのにタイの工場で働く従業員たちに在庫管理を徹底させてくれ」というミッションを与えられた。
役割的にはマネージャーだが、立派な肩書があるわけではない。しかも、「まだ2年目のペーペー社員ですから、最初の頃は本当に苦労の連続でした」。
現場での第一印象は「まるで戦場のようでした」。
仕事のやり方さえよくわからないままではあったが、「なめられてはいけない」という想いで肩ひじを張って上から目線の命令口調で「ここはどうなってるんだ?」「ここがおかしいだろう!ダメじゃないか」などと連発していたら、従業員たちから一斉に反発を食らってしまうこととなった。
「若造のくせに」「日本から来たばかりで何にも知らないくせに」と総スカンをくらい、ミッションを遂行するどころかかえって混乱状態を引き起こしてしまった。
「辛くて辛くて、もう日本に帰りたい!」と思い詰めた荒川氏は、本気で帰りの航空券を取ろうとするが「当時は国際便の航空運賃はものすごく高くて、自分で支払える金額ではなかったんです」。
結局もう逃げ道はないんだとあきらめて、そこから荒川氏は必死で考えたという。
「役割を果たすためには、現場の人たちを動かすしかない。そのために出来ることは何だろうか?」
まず改めたのは、自分自身の高慢ちきな態度だった。仲間として受け入れてもらえないと、仕事にならないことに気づいたからだ。
それからは現場に出かけるたびに工場員の一人一人に笑顔で挨拶をして、話しかけるようにした。
最初は無視をされるようなこともあってプライドを傷つけられることも多かったが、次第に現場のムードが和らいでいくことを感じられるようになった。
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