バスケットボールのB.LEAGUE(Bリーグ)は、2年目のシーズンを迎えた。 初年度は開幕効果や終盤戦の残留争いなどでシーズンを通していい流れで成功を収めたといえる。その流れを2年目にどう活かすかが、リーグと各チームの課題となるだろう。 今回は、千葉ジェッツふなばしの社長で、Bリーグの副チェアマンでもある島田慎二氏が登場。 経営破綻寸前の弱小チームだった千葉ジェッツ(当時)を、たった5年で再生させ、「売上高」「観客動員数」「成績」で日本一を成し遂げた。 “バスケ界の革命児”と呼ばれる男、島田慎二氏をタケ小山が迫った。
バスケットボール界のお家騒動の渦中へ
“バスケ界の革命児”と呼ばれる島田慎二氏
長い間、日本のバスケットボール界は、リーグの分裂という危機的な状況にあって発展も人気も遅れていた。アマチュアリズムと実力を重んじる実業団チームのJBL(その後のNBL)、エンターテインメント性も追求するプロリーグのbjリーグ。相容れないトップリーグが並立状態にあった。
それまでバスケットボールとはなんの関係もなかった島田慎二氏は、バスケ界のそんな現状をどう思ったのか。
「2つのリーグがあるって、わかりづらい。これだと盛り上がらないと言うか、流行らないな」
当時、経営破綻寸前で、人気も実力もイマイチだったbjリーグ・千葉ジェッツの再生を任された島田氏。チームもどん底、リーグとバスケ界のお家騒動の渦中で島田氏は何からはじめたのか?
「お金も無ければ、人もいなかった。何もないからこそ明確な方向性、経営理念を示すしかなかった」
“5年間で千葉ジェッツを日本一にする!”というのもそのひとつだ。
「わかりやすい目標を示すのが一番」とは言うものの、人気も実力も劣り台所事情が厳しい千葉ジェッツを立て直す勝算はあったのかとタケ小山が突っ込むと、あっさりと「なにもなかったですね。でも、5年くらいあればなんとかなるかなと漠然と思った」。
確かに島田氏は経営者として辣腕を振るって結果を残してきた。それは主に旅行業界を中心としたものでスポーツビジネスの世界は初めてだった。
タケ小山が更にそこを突くと「“スポーツビジネス”という言葉は好きではないですね。ビジネスはビジネスだろう、と。スポーツビジネスのスポーツはいらないよね。と先ず思いました」。“スポーツビジネス”という言葉を使っている時点で、色眼鏡で見ているし特殊産業としてみている。スポーツビジネスと言えばなんでも許されるというような甘えが出てくる気がしたと言う。
「なので、私は完全にビジネスに徹するようにしようと思った。社内でも“スポーツビジネス”という言葉は禁句にしたんです」
同時にバスケットボール界に蔓延っていたネガティブな発想を取り除くことにも着手した。
「マイナーなバスケットボールに携わっているから儲からないとか、観客が入っていないような産業だから給料があがらないという人が多かったんです」
前途多難な島田慎二氏の改革がはじまった。
経営再建の戦略的ストーリー
タケ小山が西船橋にある『千葉ジェッツふなばし』のオフィスへ入っていくと、社員全員が立ち上がって挨拶してくれた。活気が伝わってくるオフィスだ。
続きは会員限定です。無料の読者会員に登録すると続きをお読みいただけます。
-
会員登録 (無料)
-
ログインはこちら
関連記事
2009.02.10
2015.01.26