料理人が嫌だった「アル・ケッチァーノ」のシェフ。成功に導いた“魂のスイッチ”

2017.10.31

経営・マネジメント

料理人が嫌だった「アル・ケッチァーノ」のシェフ。成功に導いた“魂のスイッチ”

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山形県鶴岡市のイタリアンレストラン「アル・ケッチァーノ」のオーナーシェフ・奥田政行さん。地元・庄内産の食材を使って自由自在においしい料理に仕立てる奥田マジックは国内だけでなく世界からも注目を集めている。タケ小山が奥田シェフの果てることのないパワーと魅力の根底にある“想い”を探った。

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奥田政行さん

「30秒」で決めた未来

山形の海の近くでドライブインを経営する両親のもとに育った奥田シェフは、子どもの頃から親の働く姿を間近で見つめてきた。

「24時間営業のレストランだったから、忙しくなると『おい、手伝ってくれ』と、駆り出されるんです。小学校4年生の頃から、調理場に立ってカツ丼やラーメンなどを作っていましたね」

そのおかげもあって、高校の文化祭の屋台では同級生が調理に四苦八苦する中、いとも簡単にひょいひょいっと軽快にメニューにある品を作って賞賛をあびたという。

「じゃあ、将来の夢はやはり料理人だったんですか?」そう問うタケに、ニッコリ笑って「いや。絶対に料理人にはなりたくないと思っていたんです。年中忙しい親の手伝いばかりさせられていたから、こんな仕事はいやだなって思ってました」と答える奥田シェフ。

「だから、高校三年生になって進路希望を記入するときには、得意だったコンピューターの分野に進むつもりだったんです」

なんと、当時の奥田少年はプログラムを自分で組めるほど、コンピューターに精通していたのだ。しかし…。

「あと30秒で提出、という時になって自分の中に流れる『血』にスイッチが入ったんでしょうか、ぎりぎりになって書いたのは東京のフランス料理店の名前でした」

この時の「最後30秒でのどんでん返し」がなければ、「アル・ケッチァーノ」は誕生していなかったかもしれない。

フランス料理を選んだのは、その頃全盛を極めていたこともあるが「親父が和食をやっていたから、同じ道だと一生あれこれ説教されそうでしょ。それがイヤだったから」と軽やかに笑う。

そして、上京。東京の渋谷にあったレストランでの修業が始まる。

「フランス料理を希望していたのに、配属されたのはイタリアンでした」

当時はイタリアンというのはまだまだヨーロッパの郷土料理の一つという程度の位置づけで、家庭料理に近いものだった。

「マヨネーズやバジルのペーストを作るのに、ミキサーじゃなくてすり鉢とすりこぎを使って手作業で作ってましたからね」

ところが、その後、日本ではイタリアン大ブームが起こる。

「あれよあれよという間にイタリアンが注目され、カッコいい!と人気を集めて流行り出したんです」

奥田シェフと日本におけるイタリア料理は、ともに成長してきたというわけだ。

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「あと一点」ですべてが変わる

奥田シェフには、今も忘れることのない学生時代のあるシーンの記憶がある。

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