個人の相続に強い税理士法人「相続税申告のあすか」。相続税対策を専門に創業した経緯を、文化放送に出演した代表税理士の石井輝光さんにタケ小山が聞いた。
実家は東京の農家、相続の難しさを肌で実感。
石井さんが生まれたのは東京の下町、葛飾区の奥戸。石井家はかつて6000坪の地所を持つ地主だった。先祖代々の敷地に祖父母と、父と父の兄弟が一緒に住んでいたが、あまり仲が良くなかった。
石井さんは子どもながらに、父と叔父たちの仲が悪いのを肌で感じていた。その後、相続があったせいでますますこじれてしまったそうだ。
「祖父が亡くなったとき、法定相続人は祖母と兄弟5人と相続人が6人、何度も家族会議になり、もめにもめました。その時私は27歳で、税理士事務所に勤めていたのですが、自分が仕切って申告できればいいのにと思いました」
石井さんは、石井家のようなパターンが日本の相続の典型だと考えている。戦前は長男が家督を継ぎ、土地屋敷が分散することはなかったが、戦後兄弟平等に相続する法律や、重い相続税があることで、財産を失う農家が少なくなかった。
不幸なことに石井家はのちに石井さんが挑む相続の弊害、“三代の相続で財産がなくなる”の典型だったのだ。
自宅の応接間で事務所を開業
祖母に「石井家の跡取り」と言われて育ったが、農家を継ぐ気はなかった。松下幸之助や本田宗一郎に憧れ、経営者になりたいと思っていたそうだ。
学生時代は経営法学と簿記を学び、特定の会社に入る気もなく、就職活動も考えていなかったという石井さんだが、周囲がどんどん就職していく中、自分も就職してみようかと思い、銀行に就職する。しかし、独立の夢をあきらめきれず、会社を辞め、学生時代から興味があった税理士をめざして勉強を始めた。
税理士事務所に勤めながら、5年がかりで税理士に。自宅を改造して開業したときは30代、税理士としては新米で右も左もわからない。仕事も全くなかった。友人知人に声をかけ、顧客になってもらって仕事が回り始めた。
「税理士は営業ができないんですよ。口コミとか、紹介で顧客を確保するしかないわけですが、開業当時は景気も良くなくて、苦労しました。たまたま銀行時代の友人が農家の出身で、家屋敷、農地相続の相談に乗りました。
私の家も農家の地主でしたから、事情はよくわかっています。不動産管理会社を作って、資産を管理するなど、相続で財産を失わないためにはどうしたらいいか試行錯誤していました。そういう経験から、都市部の農家の相続についてノウハウが構築できたのだと思います」
生産緑地法というチャンス到来
農家の相続問題を抱えている地主を顧客に持っていたことで「生産緑地法」施行以後、石井さんにビジネスチャンスが訪れた。生産緑地法というのは、東京都内など都市部にあっても本来は農地としてしか使えなかった土地を、田畑を続けるか、宅地に変更するかを選べるという法律。
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