日本で登山、アウトドア用品といえば「モンベル」。機能性の高いツールやウェアで人気のブランドだ。 若き登山家が始めた事業が、日本有数の企業に上り詰めるまでの道程をタケ小山が辰野勇会長に聞いた。
少年時代に抱いた2つの夢
辰野さんが本格的に登山家を目指したきっかけは高校一年の国語の時間のことだった。
「国語の教科書にオーストリアの登山家ハインリッヒ・ハラーが書いた『白い蜘蛛』という本が載っていました。世界三大北壁の一つ、ヨーロッパアルプスのアイガー北壁の初登はん記だったんですが、命がけの冒険にハラハラドキドキしました。当時日本人で登った人がいなかったので、自分が初めて登ろうと思いました」
それから5年後、辰野さんは山仲間と2人で渡欧、アルプスの難所アイガー山の北壁を日本人では最年少、最短時間で制覇、わずか21歳にして世界のトップクライマーになる。16歳で抱いた夢の一つは5年で叶ったが、実は夢はもう一つあった。それは28歳で山に関係する事業を起こすという計画だ。
「28歳になったら、山のガイドか山用品を扱うカフェをやって、山好きが集まる場を作ろうと。休みの日は山登り、平日はカフェのオーナーという生活を夢見ていました」
高校を卒業後、スポーツ用品や山専門のショップなどに勤めながら、アイガー登はんの準備を進め、国内の名峰を登り経験を積んだ。紆余曲折の最後に就職した繊維商社で、これまで見たこともないような高機能な繊維と出会う。
防弾チョッキ用のケブラーなどの新素材を扱ううち、これを使ったら今よりもっと安全で快適な山の装備が作れるんじゃないか?とひらめいたのだ。寝袋などの装備は、重く、濡れたら乾かないのが大きな悩みだった。
しかし、軽量コンパクトで保温性も速乾性も高い新素材、これなら商品になる。登山の経験がなければ、ありえない発想だ。辰野さんは新素材の山用品というアイデアを手に、28歳の誕生日に「株式会社モンベル」を立ち上げることになった。
資本金ゼロから創意工夫で資本金をつくる
資本金ゼロ、小さな事務所に机と電話一台、辰野さんたった一人の起業だった。やがて山仲間が加わり、3人でモンベルが始動する。ところが…、最初のヒット商品は山用品ではなかった。
「スーパーマーケットのショッピングバックだったんですよ(笑)。いくら思いがあっても誰も知らないメーカーの商品は売れません。知り合いの紹介でショッピングバックを作ったのですが、よく売れました。おかげで初年度で1億以上売り上げて、資本金ができたわけです」
モンベルの登山ツールの初ヒットはもちろん寝袋、スリーピングバックだ。ケブラーと同じアメリカのデュポン社が開発した「ダクロンホロフィル」という新素材を使い、従来の寝袋とは格段に違う軽くてコンパクト、保温性が高く、速乾性の高い製品を開発し、その実用性の高さで瞬く間に登山家の間で評判になった。
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