「すべてを力に」二度のメダル獲得で乗り越えた苦悩とその原動力 元マラソンランナー 有森裕子

2017.09.13

経営・マネジメント

「すべてを力に」二度のメダル獲得で乗り越えた苦悩とその原動力 元マラソンランナー 有森裕子

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五輪マラソン女子で2度もメダリストに輝き、「自分で自分を褒めたい」というあまりにも有名な名言を残した有森裕子さん。 現役時代はもちろん、その後のプロランナーとしての活動期間中、多くの人に勇気と感動を与えた。彼女は現在、元スポーツ選手の活躍支援とスポーツを通じた障がい者の社会参加を促す活動などに没頭している。 決して才能に恵まれているわけではなかった彼女は、アスリートとして輝かしい結果を残し、周囲を変えることができたのか。そして、その原動力は何だったのか。また、今後はスポーツを通して社会をどのように変えたいと思っているのかなど、さまざまな話を伺いました。(聞き手:仙石実・公認会計士、税理士/構成:株式会社フロア)

五輪マラソン女子で2度もメダリストに輝き、「自分で自分を褒めたい」というあまりにも有名な名言を残した有森裕子さん。

現役時代はもちろん、その後のプロランナーとしての活動期間中、多くの人に勇気と感動を与えた。彼女は現在、元スポーツ選手の活躍支援とスポーツを通じた障がい者の社会参加を促す活動などに没頭している。

決して才能に恵まれているわけではなかった彼女は、アスリートとして輝かしい結果を残し、周囲を変えることができたのか。そして、その原動力は何だったのか。また、今後はスポーツを通して社会をどのように変えたいと思っているのかなど、さまざまな話を伺いました。
(聞き手:仙石実・公認会計士、税理士/構成:株式会社フロア)


伸び悩み、迷った学生時代

仙石)マラソンを始めたきっかけ、学生時代のエピソードからお聞かせください。

有森 高校から陸上部に入っていたんですが、まったく芽が出ませんでした。でも走ることしか、自分に自信が持てることがなかったものですから、恩師がつてを作ってくださった日本体育大学に進みました。

一度故障して、気持ちが萎えていたときには、伸びないものよりも、「誰もやってないことはないか」と探して、トライアスロンへの転向を考えた時期もありました。高価な専用自転車も買って、トレーニングをしていましたが、3年生の秋ぐらいに自転車を盗まれてしまったんです。そこで我に返り、「私は走りにきたんだよね、だったら頑張らなきゃ」ということで陸上に戻りました。

私が大学4年生のときソウルオリンピックが開催され、マラソンで金メダルを取ったポルトガルのロザ・モタ選手が、満面の笑顔でゴールする瞬間をテレビで見ました。

それまで「マラソンは苦しい競技だ」と思っていましたが、「あれだけの笑顔で走れるんだ」と、本当に感動しました。そして、マラソンという競技に興味が湧き、「人が感動するような舞台に立ってみたい」と思ったのが、マラソンで五輪を目指したきっかけです。


仙石)リクルート時代はいかがでしたか?

有森 入部当時、小出義雄監督は私をマネジャーにしようと思っていたほど期待されていませんでした。岡山の国体予選で優勝したときは、マネジャーが事前登録していなくて、岡山県代表のチャンスを逃しました。それが悔しくて。

ところが、私には実績がないから文句も言えない。しかし、その悔しさが私を大きく変化させてくれました。初レースだった1990年の大阪国際女子マラソンで、初マラソン日本女子最高記録(当時)を出しました。

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