ミカンはどこからやってきた?:古代渡来人の秘宝

画像: photo AC: きぬさら さん

2017.02.15

開発秘話

ミカンはどこからやってきた?:古代渡来人の秘宝

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/日本固有の「橘」と、中国でいう「橘」は、まったく別のモノ。垂仁天皇が求め、伊勢神宮の資金源となり、『万葉集』に詠われ、伊井家を支えた「橘」は、後者。しかし、それは日本在来の天敵が喰い潰した。/


 もっとも重要な問題は、『古事記』の注。この追記が書かれたのは、700年ころ。「今の橘」というのが、何なのか。じつは、これが「昔の橘」とは違うらしい。『古事記』の万葉仮名(当字)で「ときじく(登岐士玖)の香久の木の実」と言い、『日本書紀』では「非時香菓」とある。だが、「非時」は「ときじく」とは読まない。おまけに、「ときじく」の後に格助詞の「の」があるから、これは名詞だ。なのに、多くの解説は、むりやり、ずっとつねに、というような文法無視の訳を付けている。


 だが、「ときじく」=「非時」なら、「ときじく」は天竺(てんじく)、「非時」はヒンディ、つまり、インドのこと。この「木の実」は、インド、アッサム地方が原産のトロピカルフルーツ、マンダリンオレンジ。つまり、「橘」は、あの小さくて苦く、酸っぱく、薬味にさえ使われていない国産のタチバナの実ではなく、中国で言う「橘」、つまり、糖度15度を越える甘く大きなマンダリンオレンジのことを指していた。


 紀元前300年頃の詩人、屈原が『橘頌』に歌っているように、マンダリンオレンジは、当時、中国において、遷し植えがたい絶対的な南国固有種であり、白い花、鋭い棘、美しい実、と、手本にすべき君子聖人の徳に喩えられ、その志操を讃えて、高級官僚は橙色の官服を着用した。それで、この「橘」は、後に欧米に「マンダリン(官僚)オレンジ」と呼ばれることになる。


 しかし、垂仁の時代、奈良纏向宮まで三月ていどのところに、マンダリンオレンジがあったのだろうか。後の遣唐使のように蘇州~門司と東シナ海を渡るだけなら十日だが、冬の極寒の荒天に天気待ちをしていたら、かなり難しい。むしろ、国内のどこかだったと考える方が妥当だろう。ここで、700年ころの「今の橘」が、『魏志倭人伝』のころの日本野生の「昔の橘」とはまったく別物であることが、大きなヒントとなる。秦の始皇帝の時代、つまり、紀元前200年頃から、徐福の伝説にあるように、多くの中国系渡来人が日本に押し寄せてきていた。秦氏、と呼ばれる連中だ。もともと多遅守は、自称新羅王子で日本に帰化したアメノヒボコの五代目。彼がマンダリンオレンジ探索を命じられたのも、彼自身が帰化人であったからにほかならない。


 秦氏、といっても、さまざまな帰化人部族が、この同じ名で呼ばれている。その中でも大物が、秦河勝。聖徳太子の側近で、587年には仏教改宗に反対する物部守屋の首を刎ね、当時はまだ損野(かどの)と呼ばれていた京都盆地で一大勢力をなした。京都御所も、もともとは彼の屋敷であり、そこに、後に「右近橘」と呼ばれることになる「橘」があったのだ。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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