ハロウィン騒動と幕末ええじゃないか

2015.11.02

ライフ・ソーシャル

ハロウィン騒動と幕末ええじゃないか

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/幕末の「ええじゃないか」は、豊作の分け前から取り残された使用人や若い衆の災厄払いの「勝手正月」として、東海道から全国に広がり、ついには幕府を転覆してしまった。現代のハロウィンも、若者たちの馬鹿騒ぎと甘く見ていると、少子化とあいまって、痛い目に遭うのは既得権側。/

 1867年12月の明治維新の王政復古に先だって、その年の秋、日本中でわけのわからない狂乱の踊りが流行した。ええじゃないか、で知られる事件。尊皇派による京都での大衆扇動のように言われてきたが、史実は、もっと奥が深い。


 始まりは、東海道の吉田宿(三四番、現豊橋駅)の南西、牟呂村大西。いまの牟呂小と牟呂中の間の北の天王社(現素戔嗚(すさのお)社)あたり。1867 年7月14日七ツ(16時)頃、屋敷裏の竹垣に伊勢外宮の御札が落ちていたとか。ところが、これを拾った男の息子が頓死。翌15日晩には天王社でも伊雑宮 (いざわのみや、志摩別宮)の御札が見つかり、村の女がまた頓死。大騒ぎになって、探してみたら、村のあちこちからいろいろな御札が出てくる、出てくる。 これらをすべて牟呂八幡宮に納め、18日から年改めの「勝手正月」ということにして、三日に渡って村を総出で、災厄払いの乱痴気騒ぎ。


 驚いたのは近隣の村々。大西村で払った災厄がやってくるのでは、と恐れていると、案の定、そこら中から、あれやこれやの御札が出てきた。これは大変、とのことで、吉田宿だの、北隣の御油宿だの、どこもかしこもすぐに「勝手正月」で災厄払い。厄が取り憑かないように、男は女装し、女は男装し、その他、身分もなにもなく、デタラメな格好で飲み食いし、踊り歩く。こんな無茶苦茶な連中に押し入られた方も、うちに災厄を置いていかれてはたまらん、と、惜しみなく饗応。これが瞬く間に東海道を西へ東へ伝わって、京都や大阪、江戸でも、わけのわからない事態に。


 いまでこそ牟呂大西町は内陸だが、当時は伊勢湾の海沿い。夏の台風の季節ともなれば、対岸から飛ばされた紙の札がほんとうに大量に降って来ても、なんの不思議もない。また、このころ、使用人や若い衆が力をつけてきており、盆暮れ以外にも休みを主人や名主を強引に要求する、それどころか勝手に休みにしてし まうことが横行していた。とくにこの秋は、例年にない豊作で、その相応の分け前を要求するのは、下の者、若い者としても当然、と思われた。くわえて、開港のせいで経済は悪化したと感じられており、また、外国人が疫病をもたらしていると信じられていた。そして、それらのもろもろがあいまって、世直しええじゃないか、の囃子言葉となっていく。


 話は変わって、この現代。先日の若い連中の馬鹿騒ぎに眉をしかめる向きも多いだろうが、根は、九月の国会前の反安保運動と同じ。政治も、経済も、文化も、世襲だらけ。テレビは、ドラマも、バラエティも、どこか知らない高校の同窓生たちの馬鹿騒ぎのような、同じメンツの馴れ合いばかり。一方、自分たちは、アベノミクスだかなんだか知らないが、いくら働いても正社員にもなれない、結婚もできない、家族も作れない、子供の面倒をみることもできない。体裁良くあしらわれているだけで、日本の繁栄の恩恵に与っていない、国や社会からネグレクトされている、と思っている若者は少なくあるまい。昔なら新興宗教あたりが村に代わって共同体に抱え込み、面倒をみてやったのだろうが、今は、それらすら老人たちの集会の場となり、世代的に断絶。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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