人は何のために、何を目標として、生きるのか。

2012.07.31

ライフ・ソーシャル

人は何のために、何を目標として、生きるのか。

寺西 隆行
(株)Z会

ふとしたときに考える、タイトルのようなこと。 万人に通用する正解なんてありません。しかし、僕の中での、限りなく正解に近いと思っている解はあります。 まとめてみました。 夏休み、子どもたちに態を伝えていく、参考になるところがありましたら嬉しいです。

社会と関わる以上、社会を動かす対象物…具体的には「人」になるわけですが、他者である「人」に対して満足を与え、その代わりに自分が満足を得る、これが幸せを得るための必要条件の1つであると考えます。
もちろん、人に満足を与えずに、人から満足をもらえる状態を作れば、それも“別にいいんじゃない?”と思うわけですが、そんな状態が許されるのは、現実的には「子ども」~しかも、「子ども」は今後、社会を動かす動力になるという共通認識がある社会下において~だけかと思います。

ドラッカーも語ってます。「まともな社会なくして、まともな個人はありえない」と。
自分の存在理由、自己実現、云々、個に落とし込んだ「自分の豊かさ」を追求しているように見える思考下においても、結局、社会の存在を切り離すことはできない、ということを端的に語った言葉だと思います。

…となると、人は何を目標にして生きるか、の答えは、“「幸せ」のため。ただし、社会の存在という制約条件下において。”というのが、僕が現時点で得ている、最も近い解になります。
そして、社会の存在をそれほどケアしなくても「幸せ」をつかめる状態を作ったのであれば、それはそれで“別にいいんじゃない?”と思うのですが、一部の超スーパーな人間(例としてわかりやすいのは、イチローのような人)以外の、我々のような一般人、凡人は、社会という制約条件を負荷に感じない、つまりは、「社会と共に歩んでいる」感を自分の中で形成しない限り、「幸せ」は得られないと思います。
換言すれば、社会の中で受け入れられる自分を作らなければいけません。

じゃ、自らの幸せを鑑みつつ、他者にどうすれば受け入れられるか、となると、「他者の幸せ」と「自分の幸せ」をすりあわせていくことが必要になります。
他者(Aさん)の中で「自分が存在することで他者(Aさん)が幸せになる」という心を醸成しないといけないわけです。
これが、他者視点の心理で見たときの「ぼくはぼくとぼくの好きな人のためにがんばる」という言葉であり、その気持ちの中に入っていかないと(=関係性を構築しないと)、めぐりめぐって、自分の幸せ、あるいは、それを具体に落とし込んだ「達成したいと思う事柄」を達成できませんよ、という、僕なりの解釈です。

自分視点で見たときも、結局は「ぼくはぼくとぼくの好きな人のためにがんばる」のが、幸せになるメンタリティだと思います。
語りだすとこれ以上に長くなるので省略しますが、全くそれまで関係のない人に対して支援する行為(寄付行為から、道端のお年寄りに手を差し伸べる行為すべて)も、自らのちょっとした幸福感を得るためという感情まで全て含めて「自分のため」というものに含まれると捉えると、究極的には「自分の幸せ」のために行っている、という結論に行きつき、むしろ、現象として「多くの支援をしている」と思われている人ほど、「ぼくはぼくとぼくの好きな人のためにがんばる」というメンタリティを強烈にもって行動しているのではないかな、と思います。

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寺西 隆行

寺西 隆行

(株)Z会

文部科学省広報戦略アドバイザー 経済産業省「未来の教室」教育・広報アドバイザー 三島市GIGAスクール推進アドバイザー 等

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