王国一賢い男か・王国一ハンサムな男か

2011.12.09

仕事術

王国一賢い男か・王国一ハンサムな男か

村山 昇
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

いま魔法の杖があって、おまえさんは、“王国一賢い男”にもなれるし、“王国一ハンサムな男”にもなれる。さぁ、どちらを選ぶかね?

悪神のささやき───

  「ひとつ訊こう。いま魔法の杖があって、おまえさんは、
  “王国一賢い男”にもなれるし、
  “王国一ハンサムな男”にもなれる。
  さぁ、どちらを選ぶかね?

  ふふん、わたしなら、どっちを選ぶかだって?
  そりゃ当然だろう。“王国一ハンサムな男”さ。

  この世には、知性を理解する頭を持った人間よりも、
  目を持っている人間の方がはるかに多いからね」。

 * * * * *

 この悪神のささやきは、『仕事と幸福、そして人生について』(ジョシュア・ハルバースタム著、桜田直美訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン)のなかで紹介されているウィリアム・ハズリット(19世紀英国の批評家)の次の言葉を焼き直したものである。───「王国一賢い男になるよりも、王国一ハンサムな男になるほうが魅力的だ。なぜなら、知性を理解する洞察力を持っている人間よりも、目を持っている人間の方がはるかに多いからである」。

 道を究めれば究めるほど、そこは細く深い世界になっていく。必然、その世界を評価できる人間は少なくなる。道を究めようとする者の最大の誘惑は、「多くの人間に認められたい」という欲求かもしれない。しかし、そうした欲求を満たしたいなら、道を究めるよりほかの術をとったほうがいい。「大衆から人気を得る」というのは、また別のところの才能なのだ。

 * * * * *

 江戸時代の文人・大田南畝(おおたなんぼ)は、『浮世絵類考』の中で、浮世絵師・東洲斎写楽についてこんな記述をしている。

  「あまりに真を画かんとて あらぬさまにかきなせしかば
  長く世に行われず 一両年にして止む」

 ……あまりに本質を描こうと、あってはならないように描いたので、長く活動できずに、1、2年でやめてしまった、と。東洲斎写楽。寛政6年(1794)、豪華な雲母摺りの「役者大首絵28枚」を出版して、浮世絵界に衝撃デビューした彼は、翌年までに140点を超える浮世絵版画を制作したものの、その後、忽然と姿を消した。

 東洲斎写楽のあの大胆な構図の「役者大首絵」は、現代でこそ、高い美術的価値が付いている(残念ながら最初に高い価値を与えたのは海外の国であるが)。ご存じのように、写楽の絵は、描き方がいびつ(歪)で、あまりに歌舞伎役者の特徴をとらえすぎていた。このことは、歌舞伎興行側・役者側からすれば好ましくないことだった。

 彼らは「大スターのブロマイドなんだから、もっと忠実に、もっと恰好よく」を望んだ。同時に、観客である庶民からもその絵は人気が出なかった。お気に入りの役者のデフォルメされた絵など買いたいと思わなかったからだ。

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村山 昇

キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。

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