国民的漫画である「ドラえもん」を本気で読み、感動の涙を流したことはあるでしょうか。そこには、ドラえもんなどのSFでしか描けない愛の方程式があります。
これを、荒唐無稽なSFに過ぎない、文学的な価値はない、ときめつけてしまうのはカンタンです。しかし、人が誰かを愛する強さを表現するのに、たまたまタイムマシンを使っただけ。タイムマシンがなければ成立しない状況を利用し、本当に言いたいことを言っただけなのです。
小説には、「異端を描いて普遍を説く」というセオリーがあります。つまり、ごく当たり前の日常を描いていては、どんなに高邁なテーマやモチーフがあっても誰も読んでくれない、万人の興味を惹くような珍奇な状況設定を行なって、あなたの伝えたいことを含ませることが必要だ、といっているのです。
そうすれば、本当に伝えるべき人生のテーマを、より多くの人に触れさせることができる、というわけです。
「ドラえもん」には、ドラえもんが未来に帰ってしまう話や、のび太との結婚に悩むしずかちゃんの話など、時空を超えて心が行き来するエピソードが山盛りです。
かくいう私も「ドラえもん」との出会いは、広告の仕事で読まなければならない必要に迫られてのものでした。その仕事で、藤子・F・不二雄氏の没後ではありましたが、小学4年生に掲載される「ドラえもん」の広告版原作を書かせていただくという幸運に恵まれました。そのときも、家族愛や友情を根底に描いた点に変わりはありません。
「ドラえもん」を食わず(読まず?)嫌いの人や、「作り物の映画はつまらない、ドキュメンタリーがいちばんだ、なにしろ本当に起きたことだから」という向きには、ぜひ言いたい。
表面的に眺めて「そんな状況、現実に起きるわけない」と拒否してしまわずに、物語の本質やテーマを見つけるようにしてみてください。
そうした視点でとらえるなら、「ドラえもん」は人生の教科書と言ってもおおげさではないでしょう。そして、藤子・F・不二雄氏がひみつ道具を駆使して語りかける、人間に対する愛や警鐘を感得して欲しいのです。
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