“自由”であることの負荷

2009.01.30

ライフ・ソーシャル

“自由”であることの負荷

村山 昇
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

【沖縄発】 「~からの自由」に甘えることは簡単だが、「~への自由」を獲得することは難しい。個々の生きる力が脆弱化すればするほど、「自由であること」は危うさを増す。

学びたいものは何でも学ぶことができる、
なりたいものには何でもなることができる
(もちろん、そうなる努力と運をつかんでのことですが)
――――こういう自由な環境下にありながら、
なぜ、私たちはそれを敬遠してしまうのでしょうか。

その大きな理由の一つは、自由には危険やら責任やら判断やらが伴うので、
そのために大きなエネルギーを湧かせる必要があるからでしょう。
人は、自由そのものを敬遠しているのではなく、
それに付随する危険や責任、判断、エネルギーを湧かすことに対して、
面倒がり、怖がっていると考えられます。

選ばなくてすむといった状況のほうが、基本的にラクなのです。
確かに、日常生活や仕事生活で、大小のあらゆることに対して、
事細かに判断をしなくてはならないとしたら、面倒でたまりません。
多くのことが、自動的に制限的に決められて流れていくことも場合により望ましくあります。

しかし、人生に決定的な影響を与える職業選択において、
その自由を敬遠するのは、一つの怠慢や臆病にほかならないでしょう。

今の日本は、平和と経済的繁栄の代償として、
個々の人間の生きる力の脆弱さを招いてきました。
この脆弱化の進行は決して見過ごすことのできない問題です。

また、この脆弱化の別の現れ方として、
昨今のマネーゲーム的資本主義の暴走もあります。
「市場は自由の下でこそ最善に機能する」という黄金律を誰もが安易に信じ込んだ結果、
市場は実物経済を離れ、マネーがマネーを膨らませるという野放図に陥った。

こうした自由の履き違えが起こるのも
根源的には、欲望を自制できない個々の人間の脆弱さにあります。

「~からの自由」に甘えることは簡単ですが、
「~への自由」を獲得することは何とむずかしいことか。
フロムの指摘が、いまなお鮮明に私たちに投げかけられています。

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村山 昇

キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。

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