「不揃いな蜜柑たち」のためのエリア・マーケティング。

2008.11.26

営業・マーケティング

「不揃いな蜜柑たち」のためのエリア・マーケティング。

原 一真

流通ルートに乗らない商品は価値がないのか。整備されすぎた構造に対して、エリアマーケティングの可能性を探ります。

家内の友人が長崎へ里帰りし、実家のミカン園で
育てているというミカンを分けてもらった。

大きさが不揃いなのは、「出荷不適合」のため。
つまり、大きさのバラつきが激しい物や形状の
悪いものは、はじかれるらしい。

パンパンに膨らんだビニール袋の中を見ると、確かに、
スーパーで見かける、行儀よくネットに納まっているものとは
違って、いかにも普段着姿のミカン達がゴロゴロと
押し合っている。

が、これが、ウマイ!

(実は、今回が初回ではなく、あまりにウマイので
今年から「実費」で分けていただくことにした。)

何といっても、皮を剥いた瞬間に、部屋中に爽やかな
蜜柑の香りがフワッと広がる。
そして、口に入れて押しつぶすと、今度はその濃厚とも
言える香味が、のどへ鼻へと突き抜ける。

これは、「濃縮ミカン」である。
いや、大げさではなく、ホントに。

それくらい瑞々しい。
「命をいただいているなぁ・・・」という感動さえ覚える。

と同時に、これが「市場価値ゼロ」という現実にも
大きな疑問、というよりも憤りを感じてしまう。

これって、オカシイんじゃない?

見栄えの良さを消費者が求めるという面もあるでしょう。
大きさを揃えることで出荷現場の作業性が高まるという面も、
あるいは「不揃い組み」はジュースに利用されているという
面もあるでしょう。

でも、味も見栄えも整った「優等生」は、スーパーには
なかなか並ばないという構造が、そこから生まれる。

平均的な味で平均的な外観のミカンが、平均的な価格で
平均的な家庭のテーブルに乗せられる。
平均的なミカンの味しか知らない人間が増殖していく・・・。

それが「品質保証」なのか?安全な食卓の確保なのか?
単なる、買い手の「目利き」の放棄ではないのか?

これはミカンに限った話ではない。
かなり極端な解釈かもしれないが、何かキケンな感じがする。

競争が商品の品質を高めるという側面を否定するつもりは
ないが、売り手、買い手を含めて、「品質の定義」「安全の定義」が、
あまりにウスッペラになっているのではないだろうか?

「グルメ情報」も「お取り寄せ情報」もネットに氾濫している。
しかし、その根底の部分では、生産・流通のブラックボックスの中で
脆弱に歪んだ「定義」に押し流されている商品も多いはず。

聞けば、この実家のミカン園を守ってきたご両親も、
高齢のために、満足な摘果・出荷作業ができない状態だという。

人任せの「品質」や「安全」から、そろそろ抜け出さなくては
いけないことは、立て続けに起きる食品問題からも明らかだ。

美しい店舗やパッケージや広告が「品質保証」なのではなく、
その作り手や売り手の「顔」や「手」が「品質保証」になるような、
より小さな(=身近な)関係の中での経済循環を生み出す工夫が、
これからのエリア・マーケティングの役割だと思う。

Ads by Google

この記事が気に入ったらいいね!しよう
INSIGHT NOW!の最新記事をお届けします

一歩先を行く最新ビジネス記事を受け取る

ログイン

この機能をご利用いただくにはログインが必要です。

ご登録いただいたメールアドレス、パスワードを入力してログインしてください。

パスワードをお忘れの方

フェイスブックのアカウントでもログインできます。

INSIGHT NOW!のご利用規約プライバシーポリシーーが適用されます。
INSIGHT NOW!が無断でタイムラインに投稿することはありません。