イスラエル:欧米植民地の最後のくさび

画像: パレスチナの壁

2023.10.12

開発秘話

イスラエル:欧米植民地の最後のくさび

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/ようするに、欧米は「レヴァント」を支配していたい、というだけのこと。アレキサンダー大王、ローマ帝国、十字軍など、なんども侵略を繰り返しているが、そんな人工国家、橋頭堡植民地が、これまで百年もったためしが無い。/

しかし、そんなローマ帝国も、大きくなりすぎて、統一支配ができなくなり、293年に四分割。395年には、北方ゲルマン人の大移動を受けている西半を切り離し、コンスタンティノープルに遷都したビザンティン帝国として存続するものの、アラビア半島で生まれたイスラム教のウマイア朝がレヴァントを奪還。以後、同地は、イスラム教アラビア人の暮らすところとなり、北アフリカから東南アジアまで広がる一大貿易圏の中心として黄金時代を謳歌することになる。

一方、ヨーロッパでは、八世紀の中世温暖期とともに、北方略奪民族ノルマン人がドイツやフランスの沿岸部や英国はもちろん、イベリア半島を周回して地中海にも侵入。もとより地中海でのイスラム勢力拡大に手を焼いていたイタリアは、むしろこれを歓迎して、その対抗勢力として利用したが、あっと言う間に自国まで乗っ取られた。おりしも、ヨーロッパは、温暖気候で人口過剰であり、1096年、聖地奪還を名目に、好戦的ノルマン人と過剰な王族層や農民層を十字軍に送り出す。

黄金時代のイスラムの方は、それまでもとよりヨーロッパとも平和な交易を行っており、この侵略は寝耳に水で、これまたあっと言う間にレヴァント一帯を十字軍に乗っ取られて、イェルサレム王国ほか、あちこちにわけのわからない植民国家群を創られてしまった。しかし、これも長くは続かない。およそイスラム的ではないクルド人のサラディンが登場し、百年を待たず、1187年にはイェルサレム王国を破壊。十字軍はレヴァントから地中海へ押し戻されてしまう。その後も13世紀まで、いくつもの十字軍が出されるが、さして成果も上がらず、それどころか、北方に東からモンゴル人の大軍が攻め込んできて、敗退十字軍が持ち帰った疫病も大流行。ヨーロッパは遠征どころではなくなる。

そんなヨーロッパがまたぞろレヴァントに野心を抱くのは、18世紀。インド・アジアの植民地化ともに、部族対立するアフリカから買い取ってきた黒人奴隷による新大陸プランテーションが大成功し、一大投資ブームに。これまたわけのわからないプロジェクトの株式会社が乱立し、カリブ海周辺のジャングルの開発企画などとならんで、もっとも巨大で、もっともうさんくさかったのが、フランスのフリーメイソン、グラントリアン社(大東社、大オリエント社)。これは、王室の財政難を、レヴァントからインド洋に抜ける運河開削(後のスエズ運河)で一気に解決しようという壮大なもの。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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